日本ワインコラム | 山梨・ドメーヌ・デ・テンゲイジ
会うと、すぐに虜になる。
「いい意味で予想外」ーインタビューを終えた時の印象だ。
2016年創業、2017年にワイナリーをオープン、ククラパン ドメーヌ・デ・テンゲイジの歴史は新しい。ワイナリーは山梨県北杜市明野にあり、圃場はワイナリー隣接地と車で15分程離れた韮崎市上ノ山の2ヶ所に跨る。甲府盆地の北西部に位置し、訪れると八ケ岳や南アルプスといった山々に囲まれた日本有数の美しい山岳景観が心を癒してくれる。
そこで、天花寺さんと下川さんは「未来につなぐ、ほんまもんのワイン。」に日々向き合っている。
ちなみに「CouCou」とはフランス語で「やあ!」「ハロー」など、親しみを込めた表現としてよく使われる言葉で、たくさんの仲間たちが集まってくるようなワイナリーになってほしいという想いを込めて社名につけたそうだ。
取材に当たり、ホームページやいくつかの記事を読んでいた。
2人揃って大阪出身。天花寺さんは輸入ワインのインポーターでキャリアを積んだ後、山梨大学院ワイン科学研究センターで修士を取得、ニュージーランドでの醸造研修を経て今に至る。
一方の下川さんは、理学療法士としてのキャリアが長い。理学療法とブドウ栽培は「同じ生理学だ」と断言し、上質でサステイナブルなブドウ栽培と日々向き合っている。「なんだこの情熱、そして行動力!」。強い意志と馬力を持ってゴリゴリと道を切り開くブルドーザーのような二人だと思っていた(失礼だったら申し訳ない…)。
確かに、揺るぎない思いや突き進む力は、こちらの胸を熱くさせる程だ。しかし、ゴリゴリ感は全くない。大阪弁で繰り広げられる2人の話には笑いと涙が随所に散りばめられ、かなり心地いい。そう、芯はあるが「ほんわか」。温かい人柄が滲み出ているのだ。
回り道だと思ったら近道だった
2011年に2人で山梨に移住後、2014年に上ノ山で就農。直ちにワイン醸造に取り掛かったのかと思いきや、そうではなかった。上ノ山ブドウ部会の部会長のアドバイスで、ワイン醸造用のマスカット・ベーリーAだけでなく、生食用のピオーネ、ゴルビー、サニー・ドルチェ、ロザリオ・ビアンコも栽培していたという。
えー?と思ったし、どっちもやれと言われて、本当に大変だった
と当時を振り返る。醸造用と生食用ではブドウの栽培手法は大きく異なる。生食用のブドウは病気になりやすく、粒を大きく育てる為に粒抜きの作業が加わったりと、醸造用ブドウに必要なことと異なる手間がある。醸造用のブドウ栽培に時間を掛けたいのに、生食用の栽培に労力を割かれる状況だと、焦りが出てやる気が落ちそうだ。しかし、2人は腐らずに、一つ一つに向き合った。就農2年目の秋、出来上がったサニー・ドルチェを出荷した時、部会長が他の農家の前でブドウを褒めてくれたそうだ。「質がいい」と。
「その時は泣きそうになった」
と言う。いいものはいいと褒めてくれる文化がそこにはあった。就農した当初は、周囲の農家も醸造用ブドウを栽培する2人を懐疑的な目で見ていたが、出荷したブドウの品質を見て、その目がガラリと変わった。また、どうやって質の高いブドウを育てられるのかと教えを乞われる立場にもなった。周囲に認められた瞬間だった。
「今思うと、部会長は『頭でっかちになるなよというメッセージを伝えたかったのではないかと思う」
と天花寺さんは当時を振り返る。また、下川さんも
「生食用のブドウを栽培することで、
醸造用のブドウを栽培する上で役立つ技術を勉強できた」
と有難そうに語る。
きっと、2人の力を持ってすれば、最初から醸造用ブドウだけ栽培していたとしても成功していただろう。スタートが遅れたという見方もできるかもしれないが、2人は回り道と思える道を敢えて選ぶことで、周囲の信頼と技術の向上を手に入れた。更に道を開拓する上でこれほど心強い武器はないだろう。
これはむしろ近道だったのだ。
話を聞いていると、「○○さんによくして頂いたおかげで…」、「本当に有難い」というフレーズが頻繁に発せられ、それが本心だという気持ちがヒシヒシと伝わってくる。こんな2人だからこそ、人の縁に恵まれるのだろう。次章以降で詳しくお伝えしたい。
人の繋がりで手に入れた最初の農地は、宝の山だった
大阪出身の2人が山梨県でブドウ畑を手に入れることが難しいことは容易に想像できるだろう。実際、移住をサポートする自治体を頼ったが、芳しい結果は得られなかったそうだ。
2人には理想とする場所があった。
日本ワイン発祥の地である山梨県であること。初めて山梨の地を訪れた時のこと。
広がるブドウ畑、湯飲みでワインを飲む地元のおじいちゃん・おばあちゃんの姿を見た瞬間、「山梨には小さなフランスがある」と感銘を受けた。ワイン造りをするなら、絶対に山梨がいいと心に誓った。温暖化の影響を考慮し、長野県寄りの標高の高いところが望ましい。北杜市周辺は日本一の日照時間と標高の高さによる冷涼な気候があり、ワイン用ブドウ栽培に最適だと踏んでいた。
上ノ山圃場を入手できたのは、天花寺さんが山梨大学院での修士課程時代に知り合ったという、年上の後輩の尽力によるものが大きい。この方は、上ノ山の農家だった。2人が畑を探していることを知り、今の畑が空くタイミングで声をかけてくれたという。まさに望んでいた通りの場所だった。茅ヶ岳の裾野に広がる畑は日照時間が長く、風通しが良い。標高は440mで寒暖の差もある。
この地域は勝沼よりも常に2‐3℃低いと言う。これ以上、何を望むと言うのだ。ブドウ博士のおばあちゃん農家から受け継いだというその畑には、樹齢20年を超えるマスカット・ベーリーAが植わっていた。今では畑も拡大し、マスカット・ベーリーAに加え、甲州、シャルドネ、サニー・ドルチェ(生食用)を栽培している。
ドメーヌ・デ・テンゲイジのエチケットをじっくりとご覧頂きたい。これは、上ノ山圃場の様子を切り取ったものだという。
上の方にある山々は、この畑から見える景色そのものだ。
うさぎは2人の家族で、「影の社長(笑)」と呼ぶチョコとアン。その周りにいるモグラやキジバト、たんぽぽ、蝶々といった動植物達は、畑に生息する生き物だ。こういった環境や多様性を後世に繋げていきたい。そういう気持ちが垣間見られるものだ。
上ノ山は、小さい産地だが周囲からブドウの品質の高さで一目を置かれる場所だという。
また、上ノ山の農家は、「穂坂(隣接する大きめの町)と一緒にしてほしくない」という気概を持ってブドウを育てているという。小さいからこそ、上ノ山ブドウ部会の団結力は強い。長きに亘り、生活クラブ(生協の一部。食品添加物や農薬使用に厳しい基準を設け、高品質・高価格帯の商品を提供している)に商品を卸しており、地域として草生栽培、毒性の強い農薬の使用を減らす栽培に力を入れる等、質の高いものを作ろうという意気込みが強いとのこと。
ワイナリーを本格始動する前の2016年頃、上ノ山で栽培したブドウを大手ワイナリーに卸したことがあるそうだ。そこでは入手するブドウを生産者毎に管理しており、「テンゲイジのブドウの品質が高い」と話題になった。老舗のワイナリーにそこまで言わしめるとは…上ノ山のテロワールのポテンシャルの高さと2人の技術力の両方があってこそなのだろう。
凄い!の一言である。
仲間を大事にする気持ちが輪を広げていく―契約農家との二人三脚
ドメーヌ・デ・テンゲイジのワインは、自社栽培のブドウに加え、契約農家のブドウからも造られている。
「未来につなぐ、ほんまもんのワイン。」というヴィジョンを前に、自社だけで活動しても未来はないと考えた。周りの農家と一緒に産地を作っていくという覚悟が必要だ、と。この土地が100年先もワイン産地として、続いていくようにと想いを込めた。
就農した当初、栽培したブドウは農協経由で出荷していたという。だが、自分達が手塩にかけて育てたブドウがどんなワインになっていくのか、最後を見届けることはできない。しかも、醸造用ブドウ栽培で重要な収穫のタイミングも自分達で決めることはできず、雨でも「今日は○○箱出荷せよ」というような指示も出る。張り合いのなさを感じたという。また、周りの農家も皆同じような思いを持っていた。
2人が契約農家との間で大事にしているのは、「お互い同じ農家、同じ部会の仲間」という意識だ。一生のお付き合いをしていく間柄。互いに顔を知っているという絶大な信頼関係もある。
農協を通じてでは難しかった、質に応じた適正な価格設定が可能になり、収穫のタイミングもベストな時期をお互いに確認し合う。「一緒にやっている」という感覚が強い。とはいえ、スタートした時は、ブドウが欲しいとお願いした先から鼻で笑われる感じもあったという。少しずつ信頼を勝ち得て、取扱量を増やしてきたのだ。
契約農家から届くブドウは農家毎にタンクを分けて醸造する。更に、出来上がったワインは、「農家シリーズ」として展開。エチケット左に各農家のイニシャルが小さく刻まれているという。嬉しくない訳がない。「自分のワインだ!」と、まるで自分の子供をだっこするように抱えてくれるらしい。
契約農家さん:
恩師のような上ノ山ブドウ部会長
契約農家の話をする際の2人の顔は、とても柔らかだ。例えば、部会長について語る時は、感謝の言葉しか出てこない。同氏から就農時に生食用と醸造用両方のブドウを育てるべきだとの助言があったことは前述の通り。また、農村社会ならではの排他的な雰囲気が広がった時も、「こいつらが頑張ってくれたら、いつか俺達を助けてくれる日が来る」と周囲を説き伏せ、ゼロからのスタートの2人に周囲からかき集めた農機を貸してくれたと言うではないか。聞いてるだけで泣けてくる。「俺はワインは好きじゃない」と豪語していたそうだが、今では、マスカット・ベーリーA、甲州、メルローを育てる強力なパートナーだ。更には、「シラーもいいらしいな!」と最近苗木を購入したと言うのだから、ワインにどっぷり浸かっているとしか言いようがない。
契約農家さん:
初めてのシードル
リンゴ部会長を務める農家から、生食用として出荷される高品質なリンゴを卸してもらい、シードルを造ったそうだ。が、彼はシードルなんて聞いたことがない!コンビニに行って、シードルを飲んでもらうところからスタートしたという。その時は「甘いジュースみたいだ」というコメントがあったようだが、出来上がったのは本格的なドライなシードル。
とても気に入ってくれたと笑いながら話してくれた。くすっと笑える優しい映画でも見ているようなやり取りだ。
契約農家さん:
高齢なんてなんのその
リンゴとブドウの両方を育てる農家は、リンゴ畑を潰して醸造用ブドウの栽培面積を増やしてくれたらしい。リンゴから甲州に植え替える際、「更に質のいい物を卸したい」と苗木の系統選抜をしっかり行ってくれたという。既にご高齢なのに、2人の為に新たな挑戦をしてくれる。この畑を通る度に背筋が伸びる思いだという。
就農して8年を迎えた昨年、契約農家から「とても助かってます。ありがとう。」と言われた時は嬉しくてしかたなかった。同時に、「この小さな町では我々は若手で、後継者的な存在」であり、自分達が頑張らねばと気合いが入った。
話を聞けば聞くほど思う。2人は幸せや喜びのお裾分けがとても上手だ。しかもスケベ心のない、とても気持ち良いお裾分けなのだ。だから皆が寄ってくる。だから皆が助けたくなる。2人と一緒により大きな幸せや喜びを分かち合いたいと思うのだろう。
いよいよ自分達の城を築く ― 自治体との二人三脚、そして未来にむけて
自治体との二人三脚
2016年冬、次の一歩を踏み出した。ワイナリーの建設だ。上ノ山でブドウ栽培を続ける傍ら、北杜市明野を第一候補地として、ワイナリーの場所を探していた。
上ノ山圃場は山梨大学院時代の人脈で入手したが、明野にあるワイナリーと圃場は自治体のサポートなしには実現しなかった。この場所に足を運ぶ度、雄大な景色を見て「ここでやりたい」と思っていた。ワイナリー建設には莫大な費用が必要で、補助金なしには難しい。この土地でのワイナリー建設は無理だと思っていた。
ところが、きっと2人の熱意が行政を動かしたのだろう。山梨県と北杜市がチームになって、ワイナリーを作ろうと動いてくれたというではないか。無理だろうと諦めていた2人は、明野内の別の場所にワイナリーを建設する方向で進めていたが、自治体から連絡があり、契約寸前で今のところに変更したそうだ。熱いドラマでも見ているかのような話である。
未来に向けて
かくして2017年にワイナリーがオープン。
隣接する2haの圃場もゼロからのスタートだ。自分達がやりたいと思っていたことを形にする。そう決めていた。
植えたブドウは、2人が好きな品種とニュージーランドでの研修で携わったものを中心に、ピノ・ノワール、リースリング、シャルドネ、ピノ・グリ、ピノ・ブラン、ゲヴェルツトラミネールの6種類で全てヴィニフェラ種だ。日本に於けるヴィニフェラ種の栽培は歴史が浅く、これまでは系統管理がなされていなかった。また、台木も生食用のものを使うことが多く、農家にとっても管理が大変だった。
山梨といえば甲州とマスカット・ベーリーAを思い浮かべる人が多いだろう。
「それも大事だけど、ヴィニフェラ種でもここに合うものがあるはずだ」
と言う。アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアといったニュー・ワールドの成功の影には、系統菅理がある。ここでもやるべきだ、と。明野圃場のブドウは、全て系統選抜・管理されている。こうすることで「未来につなぐ」ことができると考えている。
ピノ・ノワールの系統は全部で6種類。うち一つは、ニュージーランドから取り寄せたもので、あのロマネ・コンティの苗をルーツに持つものだという。ブルゴーニュからニュージーランドに渡り、そして明野に辿り着いたこのブドウがどのような顔を見せてくれるのか、今から楽しみでしかたがない。
苗木は、地元や県外の子供達に植えてもらったそうだ。彼らが成人した時に一緒に飲むのが今から楽しみだと言う。中には、ブドウが収穫される「3年後にまた会おうね」と約束を交わす男の子と女の子がいたそう。なんてロマンティック…。
天花寺さんがインポーター時代にお世話になったレストランの方からの「自分がこの世からいなくなっても、自分の娘が来られる場所ができて嬉しい」という言葉も忘れられないものだ。
今やっていることが確実に「未来につながっている」。自分達がやりたいと思っていることに一歩近づいた感覚があった。
仲間と一緒になら困難も乗り越えられる
南アルプスや富士山といった標高の高い山は目に美しいというだけでなく、明野という地域を雨から守ってくれる。だから、日本一の日照時間があるのだ。圃場は標高660mにある。上ノ山よりも標高が高く、ブドウの生育が上ノ山より3週間程遅いので、作業が重ならないのは有難いが、2人は常にフル稼働だ。
ただ、直近の2、3年は天候が恵まれず、特に昨年は雨が多く難しい年となった。急な収穫が何件か重なることもあり、スケジューリングが大変だったという。更にコロナの影響で契約農家にも不安が広がったが、ドメーヌ・デ・テンゲイジでは前年より高くブドウを買い取り、生産量が増えたとのこと。大量のブドウを鮮度が落ちない短期間の間に仕込まないといけない。「この間の仕込みの記憶がない」程に忙しかったそうだ。
それでも2人は明るい。下川さんは
「たとえ1週間休みがあってもじっとできない。休みでも畑に出る。」
と言う。信じられない。天花寺さんも
修士でマスカット・ベーリーAと酵母について研究してきたことが
ピタッとはまってきた
と嬉しそうに語る。ニュージーランドでの研修で、参加者が自国のワインを持ち寄った際、持参した尊敬する生産者のマスカット・ベーリーAに対して酷評が集まった。「ボロカスに言われて悔しかった」が、見返してやるという闘争心が芽生えた。今は、海外の人に飲んでもらっても恥ずかしくないワインを造っていると言う自負がある。それが忙しさをものともしない原動力になっている。
2人の口からは様々な人の名前が出てきた。インポーター時代の仲間、大学院の教授たち、先輩、後輩、ニュージーランドの醸造家、他のワイナリーで働く人々、そして仲間の農家達。2人は言う。
「山梨に来て本当によかった」
と。周りを見渡せば、ワインに関わる人が沢山いて、分からないことは何でも聞くことができる。一緒に汗をかきながら働く仲間がいる。
インタビュー中、「未来につなぐ」というフレーズを聞くたびにバトンを渡すリレーのようなものをイメージしていた。
高齢化が進む農家の担い手としてバトンを受け取る。苗木を子供と植えて、子供等にも小さなバトンを繋ぐ。でも、何かしっくりこない。
帰宅して2人の話を思い返し、あっと思った。これは盆踊りだ、と。
2人が「ほんまもんのワイン」を造ろうと小さく踊り出した輪の中に、1人また1人と踊りたい人が集まってくる。踊りのサポートだけで輪に入らない人もいるだろう。一度は輪に入ったとしても体力が続かなくて輪から出る人もいるだろう。
2人も輪から出ないといけない時が来るかもしれない。だけど、その頃には、輪は大きくなっていて色んな世代の人が参加している。輪はずっと続くのだ。これが2人のいう「未来につなぐ」という意味なのではないか、と。
色んな人の手や思いが込められ、2人が休みなく動いて造られたワインが美味しくないわけがない。
2人は最近、土壌について詳しく調べているらしい。今度は、2人のワインを片手に、このワイナリーで土壌について夜な夜な語りたいと思う。
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