日本ワインコラム |リュードヴァン
北陸新幹線上田駅から車で20分強。長野県東御市にある一本の「通り」に来た。今回訪れたワイナリー、Rue de Vin(リュードヴァン:ワイン通り)だ。県内初のワイン特区として認定を受けた東御市の、ワイン特区第1号ワイナリーでもある。
2006年にこの地でブドウ作りを始めたのが、今回取材させて頂いた代表取締役の小山さん。東御市は、今でこそ沢山の個性豊かなワイナリーが集まるエリアだが、小山さんが移住した際は、ワイナリーが1社存在するのみ。その中でポテンシャルを見出した小山さんには、叶えたい夢とそれを実現するためのビジネスプランがあった。
事業としてのワイン造り
僕のワイン造りは趣味ではなく、事業です。事業だから利益を出して、持続可能な形で経営しているのです。
強い信念と自信を感じさせる言葉だ。
趣味がダメだと言っている訳ではない。ご自身も車やバイクといった乗り物が大好きで、輸入工具を購入するなどお金を費やして楽しんでいるそうだ。けれども、ワイン造りは趣味と一線を画して向き合っている。
ワイナリーを始めるきっかけで多いのが、自分が思い描くワインを造りたいという思いだ。しかし、小山さんの出発点は少し違う。
「もともとはワイン愛好家。ただ、自分がワインを飲み続ける中で、日本人が日本で海外のワインを楽しんでいるという暮らしが、所謂ワイン生産地の暮らしと大きく違うということに気付いたのです。例えば、南欧を舞台にした映画で観る世界は、大きなテーブルに家族や友人が集まって、その土地のワインを飲みながら食事を楽しむ姿。こういう、ワインと共にある幸せな暮らしがしたかった。」
この気持ち、すごくよく分かる。大皿に盛られた色とりどりの食事を大人数で分け合いながら食べる。大声で話し、笑い、時に歌い、踊りながら…ワイン片手に笑顔。誰もが幸せを感じる瞬間だ。大抵の人は、ここで出てくるワインが輸入ものでも、「ま、いっか…」となる。しかし小山さんは気付いたのだ。その土地で作られたものが食卓に並ばない限り、一過性のイベントでしかない、と。
ワインブームでは流行で終わってしまう。流行り廃りではなく、事業として継続されれば、いずれ文化として根付いてくる。そういう大きな絵を描いているのが小山さんなのだ。
転んでも立ち上がればいい
初心を忘れず立ち上がる
事業としてのワイン造りをするのであれば、定年前くらいの歳で工場長レベルになっていないといけない。となると、30歳前にはワイン造りをスタートしなければ間に合わない。そう考えた小山さんは勤めていた大手電機メーカーを29歳で退職。進む先に選んだのは、山梨にあったワイナリー。海外に飛び込むというのも一つの手ではあったが、語学のバリアもあるし、例え語学ができるようになったとしても醸造学を学んでいなければ相手にもされないだろうと考えての決断だった。
そのワイナリーには5年間在籍した。結論から言えば、「ワインと共に幸せに暮らしたい」という夢から大きく乖離した職場環境で苦しかった。が、今振り返れば、その中でも学びもあった。
任された仕事は、余剰ワインから酢を造るというプロジェクトの研究開発。ワインを造りたくて入社したのに、酢を造ることになり心が折れそうになったが、製品化にまでこぎつけた。この酢を使った清涼飲料を造る過程で、ハーブやスパイスを調合する過程を繰り返したそうで、リュードヴァンで製品化している「シードル・エピス」にこの経験が活かされている。何を組み合わせたらどういう味になるのか、即座に判断できるそうだ。
また、当時、農家から巨峰を仕入れるタイミングに変化を加え、熟度の異なる巨峰の仕上がりの差を研究した。その経験があるからこそ、現在、リュードヴァンで巨峰スパークリングを造る際には、契約農家にどのタイミングで収穫してほしいか希望を伝えることで、フォクシー・フレーヴァ―(ラブルスカ種に存在する、グレープジュースやキャンディのような特徴的な香り)のない仕上がりになっている。
転んだからこそ分かる進むべき道
仕事だからと腹をくくって山梨のワイナリーで働き続けるというオプションもあったが、小山さんには「ワインと共に幸せに暮らしたい」という譲れない夢がある。つてを必至に手繰り寄せて、長野県安曇野市にあるワイナリーへ転職することに。
転職後、小山さんの名前はすぐに広まることになる。1年目から小山さんが醸造したワインが有名になり、特にソーヴィニヨン・ブランは爆発的な人気を誇った。秘訣は何か?非常に高品質なブドウである。
そのワイナリーは近隣の契約農家からブドウを仕入れていた。戦後、高い栽培技術が求められる高単価な作物を栽培・販売することで生計を立てていた農家達が丹精込めて作るブドウ。ピカイチな品質のブドウで仕込むワインが美味しくならない訳がなかった。
一方で、危うさも抱えていた。ワイナリーは規格外となった生食用ブドウや、醸造用ブドウを加工用果実として安価に仕入れていた。短期的に見れば、ワイナリーのビジネスとしては正しい動きなのかもしれない。が、農家は儲からない。農家の高齢化が進む中、儲からない仕事の跡継ぎは現れず、ブドウの作り手がいなくなることは目に見えていた。
折角高品質なブドウを栽培する技術を持つ農家がいるのに、その技術が伝承されない。それはすなわち、近い将来、ワインの品質が落ちることを意味する。中長期的な視野に立つと、ワイナリーは自分で自分の首を絞めていることになるのだ。自分の考えは伝えたが、ワイナリーにはワイナリーのロジックがある。
小山さんは腹をくくった。
地産地消のワインがある暮らしを自分でプロデュースしよう。そのために持続可能な事業としてのワイン造りを自分でやろう、と。
ビジネスとして成り立つかどうか、シビアな目線を持つ
2006年、小山さんは安曇野市から東御市に移住し、ブドウ栽培を開始した。東御市は、千曲川が東西に流れる南向きの斜面で水はけもよく、日照時間が長く、降雨量が少ない。ワイン用ブドウ栽培に適した場所だ。
将来を見据えたビジネスプランを持つ
手に入れた畑は、耕作放棄され雑木林になっていた元リンゴ園、「十二平圃場」だ。S字上に広がる畑で、一番高い場所で標高830m。7haと広いが、小さい畑の集合体のため作付面積は6割程度の約4ha。機械化が難しく、効率がいい場所とは言えない。事業化に拘る小山さんが、なぜこの場所を選んだのか?
答えは、2020年に入手した、西隣にある「御堂圃場」。2016年、東御市が「御堂地域活用構想」を制定、元桑畑だった耕作放棄地を「ワイン用ぶどう団地」として作り変え、28haもの広大なワイン用ブドウ畑が誕生した。その一部となる、面積効率の良い5.2haの一枚畑をリュードヴァンが取得したのだ。実は、移住時に御堂圃場に目を付けていたが、入手できなかった。ただ、今後、どこかのタイミングで手に入れられるだろうと踏んでいたそう。想定よりも5年程早く手に入ったとのことだが、いやいや、先見の明、ありすぎじゃないですか~?
入手のタイミングはバラバラだが、十二平圃場と御堂圃場セットでのビジネスプランなのだ。
効率化が図れない十二平圃場のワインの単価は下げられない。だからトップ・キュヴェのワインである、シャンパーニュ製法のスパークリングワインや樽熟成を行うワインなどを造る。
一方、効率化が可能な御堂圃場ではデイリーワインを造る。そうすれば、周辺地域の人々が普段手にすることができるし、日常使いできれば、ワインが文化として根付く。
ご自身が思い描くヴィジョンがあって、それにたどり着くまでのプランが至極明晰。多少の変更はあるかもしれないが、軸がシンプルだから判断も早いのだろう。
苦しくてもプランを守る-攻めの姿勢を崩さない
ハレの日の十二平圃場、ケの日の御堂圃場というすみ分けは、ビジネスを始めた当初から頭にあった。なので、シャンパーニュ製法のスパークリングワイン造りを見込んで、十二平圃場に最初に植えたのはシャルドネ。
スパークリングワインの中でもシャンパーニュは別格で、頂点に君臨すると言っても過言ではない。まず、その年収穫したブドウで造ったワインに、過去複数年に亘るワインをブレンドして造られたリザーヴワインをブレンドして造られるのだが、このブレンドの技術がないと始まらない。また、瓶内熟成に時間をかける=大量の在庫を抱える=資金&スペース的にも余裕がないとできない。お金がかかる世界でもある。
この聖域と呼んでもいいような分野に最初から挑んだのだ。なぜなら十二平圃場はハレの日のワインで、その頂点がシャンパーニュだから。ブドウ栽培を始めて4年後の2010年、満を持してワイナリーを開設したが、なんと、この年は大凶作で一番多く収穫できたのはシャルドネ。キャッシュ・フロー的にはシャルドネをワインにして収入を得たいところだが、全てスパークリングワイン用のリザーヴワインとして保管したそうだ。「そりゃぁ、苦しかったですよ…。」さらりと仰ったが、苦しいなんてもんじゃない。追い詰められて精神がおかしくなりそうだ。それを乗り越え、最終的にリリースしたのが2014年。2010-2012年のシャルドネやピノ・ノワールをブレンドし、瓶内熟成を経て世に出したのだ。
そんなに追い詰めなくて…と言いたくなるが、「御堂の目途がたってからシャンパーニュに挑んでは遅い。初めから研究開発を進めておく必要があった」と仰る。信念の人である。そして忘れてはいけない。小山さんはタダでは転ばないのだ。ここ培った経験や技術開発は、シードル造りにしっかり活かしているという。
効率経営を徹底する-減農薬はコストダウンの観点から
ブドウ栽培初期から、減農薬栽培を軸に据えてブドウ栽培を行っていたそうだが、ここで勘違いをしてはいけないのだがその理由だ。減農薬と聞くと、安心安全を理由にすることが多いが、小山さんはコストダウンの為と言い切る。農薬は意外にコストがかかる。事業として経営する以上、できるだけコストを削減する。そのための減農薬なのだ。
しかし、極限まで薬を減らしてコストダウンを模索する中、結果的に病気を蔓延させたこともあり、2010年、2020年は大凶作。起死回生を目論んだ2021には晩腐病が感染爆発したという。若木は菌やウイルスの蓄積もないので、減無農薬でも大きな問題にはならないことが多い。しかし、防除を誤り病気の発生を繰り返すと、年数を重ねるにつれ、病原物質が蓄積され病気が発生するのだ。
「あの時、しっかりと農薬を散布しておけばと思うことが多い。病気が蔓延してしまってからは、休眠期から収穫期までしつこく農薬を散布して、病原物質を抑える必要がある。その後は、農薬を抑えながら栽培することができる。2022年、2023年は豊作だった。予防措置を取っていれば、今はどれくらい農薬を減らしても大丈夫という勘所もあるし、ある程度その判断に自信はある。」と小山さんは仰る。
日本にワイン用ブドウ栽培適地は存在しないんですよ。東御は多少ましなだけ。
小山さんは断言する。
有機農法でも使用される殺菌剤のボルドー液。ヨーロッパの中でも海洋性気候で雨の影響を受けやすいボルドーだからこそ生まれた薬だ。そのボルドーよりはるかに雨も多く、病気が出やすい日本において、無農薬で栽培することはリスクが大きい。新規就農者が農薬を使わずにブドウ栽培を始め、数年間は問題なかったものの、後になって大変なことになるケースがままあるという。日本は世界のワイン産地とは異なる環境にあることを理解した上で、ブドウ栽培に向き合うべきというのが小山さんの考えだ。
効率経営を徹底する-作付面積を増やして収益アップ
収益を上げるには、作付面積を増やして収量を上げることが重要だ。
東御市もワイナリーの数が増え(小山さん曰く、「コンビニの数より多い」)、活気付いてきているが、ブドウ畑が辺り一面に広がるとは言いきれない。一社当たりの作付面積が小さいのだ。小山さんは、この問題を打開すべく、機械化したり、技術が必要な手作業を効率化したりして作付面積を増やしている。
現在、十二平圃場は小山さん含め3人で作業を行っているそう。畑の構造上機械化が難しいが、手間を減らす努力は惜しまない。例えば、ブドウの仕立て方。同じ垣根仕立てでも、長梢仕立てのギュヨの場合、高い剪定技術が求められると共に芽吹く前に誘引を終わらせてないと芽かきや農薬散布などができない。一方のコルドン仕立ての場合、剪定はギュヨよりも簡単で、芽吹きの後でも誘引作業は可能となる。こういった作業効率を進めることで、一人当たりの作業面積は他社の2倍だそうだ。
御堂圃場では機械化も進める。ラジコンを使った草刈り機やリーフカッターなど、機械を用いることで作業効率を更に進めている。また、御堂圃場は畑の構造上、十二平圃場よりも作付面積を広く使えるので、効率は更に上がる。事業規模を大きくし、機械化・効率化を図ることで、ワインが日常ワインとして手が届く2-3000円代で販売することができる。消費者としては有難い限りだ。
文化形成を目指して
シャンブルドットを開設
取材の後、ワイナリーに隣接するカフェ・リュードヴァンでランチを頂いた。チキンソテーが非常に美味しくて、全員あっという間にペロリ。ワイナリーで食事ができるだけで嬉しいのだが、2020年、更に進化を遂げ、週末(金、土、日)、二組限定の宿泊施設、「シャンブルドット・リュードヴァン」がオープン!カフェ・リュードヴァンでのワイン付きのディナーとフレンチスタイルの朝食付きのお宿で、ディナーはコース料理に合わせてリュードヴァンのワインが79種類ペアリングできるそう。
ディナーでは地元の食材を使った料理とリュードヴァンのワイン、レストランから帰って小山さんとサロンでもう一杯なんてことも。また、朝は小山さんが用意したコンチネンタルスタイルの朝食を頂く…贅沢以外の何物でもないし、まさに小山さんが心に浮かべる、「大きなテーブルに家族や友人が集まって、その土地のワインを飲みながら食事を楽しむ姿」が繰り広げられる舞台なのだ。
御堂圃場に設立予定のカーヴ・ド・ミドウ
御堂圃場の脇に、新しいワイナリー「カーヴ・ド・ミドウ(Cave de Mido)をリュードヴァンのグループ会社として設立した。御堂圃場で収穫されたブドウを使ったワインを中心に、リュードヴァンのワインも一部販売される予定とのこと。カーヴ・ド・ミドウではリンゴを使ったリキュール「カルバドス」の生産も予定しているそう。気になる動きだ。
リュードヴァンでは、この6年間、ブドウの収穫期に地元の小学生が手伝いに来てくれているという。小さい頃に受けた影響は絶大で、大人になっても覚えている。小山さんは、「この小学生達が大人になった時に、リュードヴァンのワインを手に取って美味しいと感じてほしい。その頃には御堂の広大な土地が、一面美しいブドウ谷になっていてほしい。彼らが当たり前に御堂のブドウで造ったワインを手にするような世界にしたい。」と熱っぽく語る。これができて初めて、「ワインと共にある幸せな暮らし」が実現するのだ、と。
これが、小山さんが御堂プロジェクトに拘る理由でもあり、これからの目標でもある。もちろん、カーヴ・ド・ミドウという新組織を立ち上げたのには、莫大な資金が必要なワイナリーを営む上で資金集めしやすかったという側面もあるが、一番の理由は後世に伝えていくため。「御堂地域活用構想」に集まるワイナリーの数は増え、現在は10haに10の事業者が集まる規模感だが、ゆくゆくは規模の大きい3社が10haずつ所有し、競い合うような世界ができれば、ワイン産地として成り立っていくのではないか、と考えているそう。そのためにも、まずはカーヴ・ド・ミドウを事業として成功させ、将来的には、必要に応じてどこかの会社が継承していけばいいと考えている。全ては、地域のワイン文化形成のため。カーヴ・ド・ミドウの設立はゴールではなく、ただの通過点なのだ。
10年後はあの木の下で
2006年にブドウを植え始めた際、30年後の着地点を見据え、直近10年間の事業計画を作成した。今も、20年後の世界を見据えて行動しているという。
リュードヴァンのワイナリーの敷地にはマロニエの木がある。小山さんがご自身が苗木から育てたものだ。この木が大木になった時、木の下で一杯やりたいな…という想いでワイナリー開設時に植えたそうだ(何気にロマンチストではないか!)。
「そのためにも次の世代に事業を渡していかないといけない。創業者が残り続けると、老害になりがちだから。」
ロマンチストだけど、事業に関しては客観的な視点を失わない。自分の引き際も含めた今後20年の行動計画なのだろう。
「ゆっくりと趣味のワイン造りをしたい」-こんな言葉も口にされた。
リュードヴァンはあくまでも事業としてのワイン造り。この点は譲れないけれど、事業を退いた後は趣味の範囲でとことん自分の造りたいワインを追求したい。もともとのワイン愛好家としての顔も見せてくれた。
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小山さんのインタビューを通じ、1999年ステュワート・ブランド氏の著書『The Clock of the Long Now』にある「ペース・レイヤリング」というモデルを思い出した。下の図を参照頂きたい。ペース・レイヤリングとは、文明は変化のスピードが異なる6つの階層で構成され、各階層がお互いの変化スピードに調和し、役割を果たすことで、文明が存続するという考え方。深層が基盤としての役割を果たし、表層が新たな変化を生み出す。階層間に何らかの摩擦が生じても、うまく吸収できる適応力が文明には備わっているというものだ。
小山さんはワインブームという「流行:FASHION」だけで終わらない、リュードヴァンという「ビジネス:Commerce」を営む。また、ワイン産業という「基盤:INFRASTRUCTURE」や県や市による公共サービスなどの「行政:GOVERNANCE」との連携も行い、ワインが地域の「文化:CULTURE」となることを目指しているのだ。東御市に世界のワイン産地のような環境は望めないとはいえ、日本の中ではワイン用ブドウ栽培条件に恵まれた「自然:NATURE」環境があるのだから。「文化」として根差すことができれば、多少表層に変化があっても、流行り廃りで終わらず、後世に繋がる。
小山さんの見据える世界観は、こういうことなのではないだろうか。何を切り取っても一本筋がぴしーーーっと通っている小山さんのお話。そんな小山さんのワインにも筋が通った美味しさがある。
皆さんは今晩、ハレのワインにしますか?ケのワインにしますか?
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