日本ワインコラム | ヴォータノワイン
長野県塩尻市洗馬にあるヴォータノワイン。今回取材させて頂いた坪田さんが50歳を越えて始めたワイナリーで、苗字の「ツボタ」をモジったご自身のニックネーム「ボタ」から、「ボタのワイン」→「Bota no wine」→「Votano Wine」という名称にしたという、くすっと笑えるネーミングを持つところだ。
長野県内にはワインバレーが4つあるが、ヴォータノワインが所在する塩尻市は長野県のほぼ中央に位置し、日本ワインの先進地と言われる桔梗ヶ原ワインバレーと称されるエリアにある。この地域は日照時間が長く、年間降雨量が少ない。また、ヴォータノワインの畑は標高720m、ワイナリーは770mと標高が高い場所に位置し、昼夜の寒暖差もある。まさに、ワイン用ブドウ栽培に適した場所だ。坪田さんがこの地で畑作りを開始したのが2002年。2007年には委託醸造を始め、そして2012年にワイナリーを開設した。この地でワイン造りを始めた背景やワインとの向き合い方には、坪田さんの人生観や様々な出会いが凝縮されていて、インタビューを終えた頃には、温泉に入った後のように心がぽかぽか芯から温められていた。
25年単位で人生設計する
東京の設計事務所でコンサルタントとして仕事をしていた40代の頃に考えていたことがあるそうだ。その当時、男性の平均寿命は75歳と言われていたこともあり、寿命を3分割して人生設計しようと方針を立てた。25歳までは勉強の時。25歳~50歳まではその勉強を活かす時期。50歳~75歳は更にそれを活かすかリスタートする時期だと。坪田さんはリスタートを選んだ。
リスタートを選んだきっかけは、40歳前後に奥様と訪れたイタリアンレストランで飲んだバローロ。ずっと気になっていたレストランだったが、高級そうでなかなか入る決心がつかず、3年越しにようやくエイっと入店した。その時に飲んだバローロに感動。お酒好きのお二人はそれまでにも沢山ワインを飲んできたが、「今までのワインは一体何だったのか…!」と衝撃を受けたそうだ。以来、そのワインと比べてどうかという視点でワインを飲むようになり、イタリアにご夫婦で旅行した際は、同じバローロでも美味しいのもあればそうでもないものもあるという発見もした。 衝撃のバローロとの出会いを経て、50歳になったらワインの道に進みたいという希望を持つようになったが、奥様と協議し、お子様が就職するまで待つことに。52歳のタイミングで4人のお子様全員の就職が決まり、晴れてワインの方面に進むことにしたそうだ。
自分の理想を追い求めて
52歳になるのをじっと待っていた訳ではない。45歳頃から日本全国のワイナリーを巡る旅にも出て、イメージを膨らませてきた。北海道から順番に北から南に進む形で、自分が理想とするワインを造っているワイナリーを探し回ったそうだ。
そんな中、ある年のお正月休みを利用して、1月2日からワイナリー見学が可能となっていた栃木県足利市にある「ココ・ファーム・ワイナリー」(以下「ココ・ファーム」)を訪れた。その日は生憎の大雪。当時車の免許がなかった坪田夫妻は電車で訪れたが、車で来訪予定だった他のお客様は全員訪問をキャンセル。その結果、ワイナリーの案内係の方とゆっくり会話することができた。
そして、その際テイスティングしたオーク・バレルの赤ワインにビビっときた。非常に美味しく、しかも2000円程度でお手頃価格だったのだ。この価格帯でこんなに美味しいものがあるのかと驚き、その訪問から2週間後に再訪問し、研修生として受け入れてもらいたいと直談判。何度か断られたが、説得を続け、受け入れらえることに。坪田さんの情熱が認められたのだろう。50歳過ぎでのリスタートの幕開けである。
自分が造りたいワインを見つける
当時のココ・ファームには、今や日本ワイン界の代表と評される「10Rワイナリー」のブルース・ガットラヴ氏が醸造責任者として、そして「ドメーヌ・タカヒコ」の曽我貴彦氏が栽培責任者として在籍していた。そんな2人からみっちりとブドウ栽培とワイン醸造のイロハを吸収した坪田さん。日本の最高峰の実地教育を受けたと言っても過言ではないだろう。この2人から教えてもらったことは、今でも心に留め、実践しているそうだ。
ココ・ファームでは毎週、「金曜テイスティング」が開催されていたそうだ。スタッフが集まって、どのワインが美味しいと感じたかを議論する。実は、坪田さんが在籍していた間、全員意見が一致したのは1回だけ。しかも「美味しくない」という意見で一致しただけで、「美味しい」では、一度も全会一致しなかったそうだ。「あー。味覚なんてそんなものなんだな。」と気付いたそうだ。あくまでもワインは嗜好品。万人受けするものを狙うのではなく、あくまでも自分が美味しいものを追求するという方向性に決めた。
では、自分が美味しいと思うワインに共通するものは何か?
テイスティングを重ねる中、注意深く観察して気付いたのが「ミネラル感」だった。
ミネラル感のあるワインを造るための土地探し
ミネラル感のあるワインを造るためには、ミネラル分が豊かな土壌でブドウ栽培をする必要がある。「ヨーロッパの多くは、昔海だった場所が褶曲(しゅうきょく)して台地になったようなところで、石灰分が十分にあるが、日本にはピンポイントでしかそういう場所はない」。ココ・ファームでの師匠である曽我さんやブルースさんから受けた、畑は一度決めるとなかなか動けなくなるので見極めは慎重に行うようにというアドバイスから、坪田さんは地質図や気象庁のデータ等をもとに、全国に散らばるめぼしい場所のデータ作りに取り掛かった。出来上がったデータの8割方の場所を訪問したそうだ。実際行ってみると、山奥だったり、冷害が起こりやすい場所だったり、既に何らかの施設が建っていたり…なかなかすぐには見つからない。そんな中、塩尻市の方が熱心に畑を紹介してくれ、出会ったのが今の畑だ。
畑は奈良井川沿いにある。奈良井川は、ジュラ紀地層の木曽・飛騨山脈系から流れ出る上流部分で、千曲川と合流し、その後信濃川となり日本海に流れ込む。畑がある洗馬のエリアは、奈良井川がS字となる川筋にあり、木曽・飛騨山脈から流れついた石が溜まる構造になっている。地元の人から「石間」と呼ばれる場所だ。畑は河川敷でありながら、この石間のおかげで川辺から5-6m程高い場所に位置することになる。この石を見て、ピンときた。この石は木曽・飛騨山脈から来ているのだからミネラル分が多いに違いない、と。
「50を過ぎで何かを始めるには、
何かしらの柱なり拘りがないとできない。」
と坪田さんは仰る。ミネラル分というのが、坪田さんのワイン造りにおける柱なのだ。
畑作業はクリエイティブだ
ココ・ファームでの研修を終えた2002年、この地に移り住み畑作りを開始。作業を続けていると、まわりの地主からも声がかかり、徐々に面積が増え、今では1.3ha程にまで広がった。現在植わっているのは、白ブドウでは甲斐ブラン、ソーヴィニヨン・ブラン、シャルドネ、ケルナー、黒ブドウはカベルネ・フラン、カベルネ・ソーヴィニヨン、シラー、メルロ、ピノ・ノワール、そしてバローロの品種であるネッビオーロ。多種多様な品種が育つ。「畑の作業は非常にクリエイティブなんですよ!」と目をキラキラさせる坪田さん。そこには、ココ・ファームで得た知見や人の縁、実際に作業を繰り返すことで得た気付きに満ち溢れていた。
ジェネバ・ダブル・カーテン仕立てを取り入れる
坪田さんの畑でまず目に入るのは、棚仕立ての一種で、普段あまり見かけないジェネバ・ダブル・カーテン(以下「GDC」)と呼ばれる仕立てだ。ブドウは新梢を空に向けて上に伸ばす習性があるが、この仕立て方では、新梢をカーテンのように垂れ下げて仕立てるのだ。ブドウの樹勢が抑えられるので、樹勢の強いブドウ栽培との相性がよいと言われている。また、GDCで仕立てたブドウは節間(葉と葉の距離)が狭くなり、1房に対する葉の枚数が多くなることから光合成による栄養分が豊富というメリットもある。 ココ・ファームで試験的に取り入れていた曽我さんが、樹勢の強いブドウと相性がよいのではないかと仰ったことがきっかけとなり、この仕立て方を取り入れたそうだ。坪田さんの畑では垣根仕立てで育てるブドウもあるが、樹勢が強い甲斐ブランやシャルドネはGDCとの相性がよいとのこと。
自然環境を受け入れる
日照量もあり、比較的雨が少なく、標高差もある。石間と呼ばれるこの辺りの土壌は、砂利が多く水はけもよい。そしてミネラル分も多い。なかなか望んでも得られない場所だ。とは言え、自然が相手のブドウ栽培。そこには難しさも存在する。
例えば風。畑は、木曽・飛騨山脈から遠くない木曽谷に位置する。南方からの山風が谷間を通る時に強風になるため、風で枝が折れることもある。風はブドウを病気から守る上で重要な要素ではあるが、強風が吹き続けると良からぬ影響もあるという訳だ。 また、この辺りは5月20日頃まで遅霜が発生する可能性もあり心配だ。地元ではカッコウが鳴き始めれば霜は降りないと言われているそうで、鳴き声をまねようかと思う時もあるそうだ(笑)。加えて、雨が少ないとはいえ、ここは日本。雨が続く場合は病気になりやすいので、雨対策としてブドウの房一つ一つに傘を付けるという。その数1万5千個前後というのだから、聞いているだけで気が遠くなる。
植物の出すメッセージを見逃さない
丁度畑を訪れた時は、ブドウの実が付き始めたタイミング。中には「花ぶるい」と呼ばれる、ブドウの開花後短期間で落花し、実が付かない粒が発生する房もあったそうだ。花ぶるいが起こる背景には、開花のタイミングでの低温や降雨、新梢の栄養不足や徒長的成長といった様々な原因が考えられる。多少の花ぶるいであれば、ブドウの粒が密着せず病気になりにくいというメリットもあるが、粒の数が少なすぎると問題だ。バランスが難しい…ここでも、GDCが役立っているそうだ。GDCはブドウの樹勢を抑えるので、新梢が徒長的成長にならず、花ぶるいを抑えられるそうだ。加えて、坪田さんは、ブドウの徒長的成長が穏やかになるよう、最初の花が付き始めたタイミングで摘んでおくといった作業を細かく行う。こういった細かい作業ができるかどうかでブドウの出来が大きく変わるという訳だ。
「ブドウの気持ちを理解すること。畑をボーっと歩くのではなく、常に周りを見て観察することが何よりも大事!」
と坪田さんは指摘する。つぶさに観察するからこそ、何をしたらブドウが喜ぶのかが分かってくるのだ。
ブドウの木も人間と同じで、長く生きれば病原菌が溜まって病気になりやすくなる。20年近くブドウを育ててきた今、坪田さんは、ブドウの病気を全滅させるというアプローチではなく、ブドウは保菌しているものだという前提の元に、如何にその菌の暴走を抑えるかという視点で管理を行っている。そのため、「未病」のタイミングで対処するという早め早めのアプローチが重要になる。例えばケルナーはベド病という病気にかかりやすい木だ。ブドウ木の観察を続けた結果、坪田さんは葉の裏の先端から病気になりやすいということに気付き、見つけたら、規定よりも薄く希釈した農薬で、早めに対処する。農薬はタイミングさえ合っていれば薄くても十分効果を発揮する。
「ブドウはこうしてくれというメッセ―ジを常に出している。
それに早く気付いて対応してあげること。これに尽きる。」
と坪田さんは仰る。
知的障害者と一緒に働く
ブドウをつぶさに観察するのは、坪田さんだけではない。現在、ヴォータノワインには坪田さん以外に4人のスタッフがいる。そのうち2人は知的障害者だ。前段で、雨よけの為に約1万5千のブドウの房一つ一つに傘をかけると申し上げた。ブドウ栽培を始めた当初は奥様と2人でその作業を行っていたそうで、早朝から日が暮れるまで長時間対応していたこともあり、作業日数は5人体制の今よりも短かったそうだ。では、効率が悪くて困ると思っておられるのかというとそうではない。「努力は足し算、協調は掛け算」という言葉を大事にしていると仰る坪田さん。様々な立場のスタッフが協調することで生まれるワインは、掛け算として大きな結果をもたらす。そう考えておられるのではないだろうか。それにしても、なぜ知的障害のある方をスタッフとして迎え入れているのだろうか?忙しい毎日なのだから、即戦力を迎え入れたいはず。背景には、ココ・ファームでの研修で得た縁がある。
坪田さんが研修したココ・ファームでは、知的障害者の支援施設「こころみ学園」の職員と園生が中心になってブドウ栽培を行う。東京の設計事務所で役職についていた坪田さんにとって、労働環境がガラリと変わった瞬間だったはずだ。「変に気を遣わず、腫物にさわるようなこともしない。普段通り。これは、園長先生に教えられたこと。」と平然とした語り口。
園長先生の教えを素直に受け取り、園生とも垣根なく付き合う。「園生の中には、初めての場所でも道を細かく覚えている子がいたり、その他にも驚くような能力を持った子がいたり。彼らは我慢してバカな我々に付き合ってくれているのではないかという気がしていたんだよ!」と嬉しそうに語られた。ワインの研修に来ているのだから、ワインのイロハだけに目を向けて過ごすこともできたはず。しかし、坪田さんは、人との出会いを大事にする。園長先生からは折に触れて、「この子達が生活できるような機会を極力作ってほしい。」と言われていたそうで、ずっとこの言葉が心に残っていたそうだ。そこで、6-7年前頃から、傘かけや選果、収穫のタイミングで知的障害者の方々にもサポートに入ってもらうようになったという。これだけではない。スペシャルオリンピックスで活動する知的障害のあるアスリートが集まる、スポーツの祭典が長野で開催された時には、イタリアから来た知的障害者3名の受け入れも行ったという。自分ができることは積極的に動く。やってあげている感はゼロ。あくまでも自然体だ。
坪田さんとお話していると「人に恵まれて」という言葉がちらほら現れた。インタビューを通じて感じたのだが、坪田さんはいい意味で肩の力が抜けている。物事の真理を見極めた上で、枝葉は気にしない。だから許容範囲はうんと広い。同時に、大事な部分はキチンと守り抜く。そのバランスが素晴らしいのだ。だから色んな人と垣根なく付き合えるし、周りから人が集まって素敵な縁が広がっていくのではないだろうか。そういう気がする。
記憶に残るワイン
大事に観察し、取り育て上げたブドウ。そのブドウの仕上げ方は、やはり自分が美味しいと思う方法で。ヴォータノワインでは、赤ワインのみならず、白ワインも皮と一緒に醸し発酵を行う。抜栓して暫く置いておくと香りと味わいが時々刻々と変化するのが特徴だ。お客さんの中には、ワインを抜栓し、ご夫婦で少しずつ夜通し香りと味の変化を楽しんだ後、翌朝グラスに残った香りを更に楽しむという方もおられるそうだ。そうしたくなるのも分かる!
使用する酸化防止剤の量もごく僅か。友人からは、そんなに使用量が少ないのであれば、マーケティングの観点から、いっそゼロにした方が売れるのではないかという指摘を受けたそうだが、坪田さんは悠然と構える。決してマス・マーケットを目指している訳ではないし、そもそも、酸化防止剤を使うことが悪いことだとも思っていない。それに、ネッビオーロを使った長期熟成型のワインも造っているので、ワインを安定させることは必要不可欠なのだ。
以前、ワイン関係者がヴォータノワインのワインを試飲した感想をネットにアップしているのを読んだという。その時に、「○○賞のような記録には残らないが、記憶に残るワインだ」というようなコメントが書いてあり、非常に嬉しかったと仰る。○○賞で受賞するようなワインは、所謂「きれい」なワインで、雑味が少ない仕上がりだ。皮の旨味や風味を余すところなく使う坪田さんのスタイルとは異なる。だから、そもそも賞レースに乗ることを目的としていない。一方で、自分が美味しいと思って丹精込めて造ったワインが、誰かの心に響く。それは非常に嬉しい。
「記録よりも記憶」。フィギュアスケートの浅田真央選手が2014年のソチ・オリンピックで見せたフリーの演技を受けて、世界中で広まった「記録より記憶に残る演技」という言葉を思い出す方も多いのではないだろうか。記録はいつか塗り替えられて薄れていくかもしれないが、記憶は個人の中でずっと生き続ける。坪田さんのワインはそういう味わいなのだ。ぜひ、読者の皆さんにも試して頂きたい!
75歳を迎えた坪田さん。25年単位の人生設計を再考しているそうだ。50歳~75歳でやろうと思ったリスタートはできた。20年以上ブドウと向き合って、ブドウが発するメッセージを受け取り会話できるようになってきたと思う反面、ワイン造りは一生かかっても理解できないとも思える。分かってきたという自負とまだまだだという謙虚さが入り混じる感情だ。75歳を過ぎた今、ご自身とご家族の健康や体力も踏まえ、次なるステップが必要と仰る。
畑から山の景色を眺めていた時、「緑と一口に言っても色んな色があるでしょう?だから僕は色んな緑がある新緑の季節が好きなんですよ。紅葉も美しいけど、人生終盤の打ち上げ花火的な要素がある。新緑はこれから感があっていい。」と仰った坪田さんの言葉が忘れられない。きっと、次の25年も新緑のような美しさがあるに違いない。これからの坪田さんの歩みからも目が離せない。
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