日本ワインコラム | 北海道・達布 山崎ワイナリー
「総理大臣ですね。」
小さい頃の夢を問われた大人がそう答える場面に居合わせることなんて、ほとんどない。
アルコールを摂取しているか、行き過ぎた懐古趣味か、あるいはその両方か。
生来の野心家である。という最もシンプルな選択肢は想像に難い。
大人という生き物は、過去に対して斜に構えられるくらいにはお利口だからだ。
「小学生の頃ですが、通学路にゴミが落ちていたのです。
それらをなくすにはどうしたらいいのかを突き詰めて考えた結果、総理大臣になりたいと思いました。
この地域のゴミだけが無くなればいいのか、なんてことも考えて、段階を踏んだうえで辿り着いた夢です。
ちなみに、まだ諦めてはいません。可能性は0ではありませんから。」
どんな小学生だ。
ともあれ、彼は野心家であった。
山﨑ワイナリ-で葡萄栽培を担当する山﨑太地さん。
彼の野心の先には、地域貢献というキーワードがある。
この土地での僕たちのワイン造りは、過疎すすむ地域の中、観光業の分野でどこまで地域に寄与貢献できるかという挑戦とも言い換えられます。まず達(たっ)布(ぷ)という小さな土地に人を呼んでこなければならない。それには、達布にいい農村を築かなければならない。そのためにいいワインが必要だ。そういった順序での考えのもと、その実現のために頑張って毎日葡萄畑に立っています。
三笠市は過疎化が深刻な地域の一つだ。国勢調査によると2015年時点での人口は9,076人。5年前と比較して11%以上の減少をみせた。達布は三笠市の中央、アイヌ語で「頂上の丸い山」を意味する達布山とその山裾によって構成される地区だ。
山﨑家は4代に渡って、その地で農業を営んできた。父・和幸さんの代では大規模な穀物栽培へと事業をシフトしたが、農産物の高付加価値化、農家の自立を目指し、葡萄栽培から醸造、販売までを家族で手掛けるワイナリー事業への取り組みを開始、2002年に「山﨑ワイナリー」を設立した。ワインの生産がしっかりとした基盤として完成された現在、山﨑さんがその先に見据えるのは、農村への観光だ。
「達布という土地に来て、ワインを飲んで、買って、帰っていくという観光のモデルでどこまで人を集められるか。というのが課題です。年々温暖化が進んでいる北海道ですから、十勝、帯広のような平地で農作物を武器に観光分野で勝負することは厳しいと思っています。一方で、達布のような斜面の土地であれば葡萄の栽培や、農村の景観を強みとして勝負できる。これは僕たちの利点になりえると考えています。」
観光分野での地域貢献を目指す山﨑ワイナリーで、まず眼を奪われるのが瀟洒な木造建築だろう。
週末に営業している直販のワインショップは、木の温かみを感じる明るい空間に仕上がっている。
大規模なワイナリーを除いて、こういった施設を持つことはあまり多くのケースがない。
感染予防の観点から現在は試飲を行っていないとのことだが、本来であれば試飲用のボトルが立ち並ぶ。
「山﨑ワイナリーではワインの販売量に関して、7割を直販、2割をインターネット販売、1割を酒販店卸で割り振りをしています。
最も楽な方法は全量を酒販店へ卸すことですが、観光モデルを作っていく中で、ワイナリーでワインを販売することの価値を重く見ています。また、6年前になりますが音楽フェスも開催しました。ワイナリーの裏手にステージがあるのです。道内のイベント企画会社、芸能プロダクションと協力し、延べ1200人を動員しました。少し離れた大型ショッピングモールの駐車場を借りて、ワイナリーとの間をシャトルバスに往復してもらって。」
観光地としての発展にはやはり交通機関が欠かせないが、周辺状況はなかなか厳しい。
1時間に1度停車する各駅停車を擁する無人の峰延駅の前には、タクシープール3つ分の罅割れたアスファルトが広がる。
肝心のタクシーは1台も見えない。バス停もない。ワイナリーまでは車で10分。
現状、達布周辺には山﨑ワイナリーと滝沢ワイナリーの2軒があるのみで、アクセスは自家用車、レンタカーなど限られたものになっている。
「いい農村を造るためには我々だけでは足りず、このエリアにさらにワイナリーの数が増えていくことも重要です。
ワイナリーの数が増え、達布という地域がワインに優れた土地という認識を造ることができれば、道内の都市とを繋ぐ交通機関の整備を期待できます。路線バスを通すほどではりませんが、例えばそれが高速バスなら、札幌、旭川から日帰りでワイナリーを巡ることだってできる。やはり峰延駅から歩くのは遠いですから、そういった直接ルートの確保は重要です。徐々に人が集まるようになれば、飲食店や宿泊施設なども呼び込むことができるでしょう。実現に時間のかかる構想ですが、農村への観光を中心とした人間的な循環を、次世代に渡って作っていきたいと思っています。」
30代とワイン生産者の中にあっては若い世代でありながら、すでに次世代を見据える山﨑さん。
葡萄栽培という形で土地に根付き、農村の形成から観光分野での発展まで志す時間射程の長い思想は、彼のワイン造りにも反映されている。
「ワインを造っている人は、やはりこだわりが強い方が多いので、ワイン造りに理念や哲学が先行している場合があると思うのですが、僕はそれだけではいけないなと感じています。その点、僕はいままで何も決めたことがありません。理念や哲学を優先し、そこから動けなくなってしまえば、環境次第でワイナリーが一代で終わってしまいます。近年できたワイナリーというのは、ほとんど、須らく補助金が入っている。その補助金を返すためにも、しっかり事業を継続し成長させ、少しでも利益を増やしていかなければなりません。そして、それを次世代に繋ぐ。でないと、ワイナリーだけでなくワインで地域を活性化させようというムーブメントも一時的なものとして終わってしまいます。」
ワインでも飲みますか。そう言って開けて下さったのは「山﨑ワイナリー
ピノ・グリ 2019」。
丸みのある果実の中から、大きく塩気のある味わいが広がる山﨑ワイナリーならではのピノ・グリだ。
ワインのこととなると、途端に語らない饒舌な野心家。
「一応、野生酵母なんですけどね。」という一言のみをつまらなそうに呟くのにも、彼なりの思いがある。
「これはメディアの影響も大きくありますが、 (理念や哲学の例として) 自然発酵やビオディナミというワードが評価されすぎているとも思うのですよね。栽培や醸造のなかでどのようなアプローチをとるのかは、その年に得られた葡萄の状態や分析値に応じて、当然変わってきます。我々もそのなかで亜硫酸を入れないという判断をすることもありますが、それが我々のワイン作りではない。重要なのは、状況に応じて最高のワインを作ることであって、無添加・無濾過・自然発酵に固執することではありません。そういった情報だけを切り取って持ち上げることに興味はない。僕もワインを紹介するときにそういうことを説明するのをやめました。聞かれれば答えますけど、もうそれで売ろうとは思いません。」
『望遠鏡が顕微鏡を兼ねなかったからとして非難するべきでない。(銀河英雄伝説より)』
だが、それでは甘い。
そう言うかのように、三笠市達布という小さな領域を睨むマイクロスコープを、日本ワイン産業全体を望むテレスコープを持ち替えた野心家は、生産者組合という大きなヴィジョンを引き合いに出す。
「日本ワインのさらなる進歩を実現するためには、日本ワイン酒造組合を作ることが必要だと思っています。
全国の生産者がすべからく加入するような酒造組合です。そういった大きな枠組みがないと、小さな派閥が乱立するような構造が出来上がってしまいます。ひとつ大きな利点は、問題解決のスピードアップです。ワイナリーが個々に抱える問題の中では、その時系列に特有の問題というのがあると思います。新規のワイナリーが引っかかっている問題は、老舗ワイナリーにとって解決済みのものだったりするし、老舗が直面する課題には、中堅ワイナリーもやがて対峙することになるかもしれません。それは、必ずしもワイン造りにおける問題だけでなく、資金調達や経営に関連するものでもある。」
業界の話となると、静かな口調で滔々と語る野心家。
「また、組合として一枚岩となることは、業界として強さにもつながります。それが、行政への働きかけやワインの学術・研究機関を作るような動きへと発展する。欧州のボルドー大学やでUCデイヴィスのような研究機関は、ワインだけでなくその周辺分野の研究の土壌があるから、産業としての基盤に厚みがあります。
そういった研究をやっているところって、日本にはなかなかないですよね。日本にもそういった研究や情報を集約する基地ができれば、販売者や生産者の人材育成や行政による整備にも追い風になるでしょう。そういった中で、ワインをどのように地域に溶け込ませるか、どういった戦略をもつかというヴィジョンに関して、酒販店、料飲店から生産者まで一本筋を通すことができれば、日本のワイン産業もよくなっていくと思っています。」
訪問当日、「TAPPU(達布)」と大きくプリントされたTシャツを着て我々を迎えてくれた、山﨑太地さん。
POPなTシャツから想像する地元愛とは、一線を画する熱意、野望。
そういった言葉がふさわしい未来予想図を静かに、そして力強く示してくれた。思った通りとはいかないかもしれないが、それらのヴィジョンが叶えられていく場面を追いかけていくことにも日本ワインの楽しみがあるだろう。
あと、いつか、「TAPPU」Tシャツください。
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