日本ワインコラム | 北海道・空知 ナカザワヴィンヤード
東京都東久留米市。
西武池袋線が動脈として横たわるこの町で、かつて、少年は電車の運転士を志した。
今日では、西武を代表する2000系から最新の40000系、01系
Laviewまでも。さらに欲張れば、東京メトロ10000系、東急5050系までも操縦することができるであろう、魅力に欠かない西武池袋線。
しかし、クハ2001の運転席にかつての少年の姿はない。
北海道岩見沢市(旧栗沢市)
。中澤一行さんが選んだ場所は、池袋へ伸びるレールの上ではなく、空へ伸びる葡萄の畝だった。
「学生時代のことですが、友人に誘われて北海道を旅行しました。無計画な車の旅で、道内をあてもなくぐるっと回ったんです。その中で広大な自然や街を見て、まるで日本じゃないみたいだと思いました。もともと知識も興味もなかったのに、いつの間にか北海道への移住願望が芽生えたんです。」
電機メーカーへの就職後、移住の夢を諦めきれず、北海道ワインへ転職した。北海道で陽の光を浴びることができる職につきたかった。しかし、栽培の責任者になって以降、自分のワイン造りに対する情熱が湧いた。2002年に葡萄栽培の新規就農者として独立し、ブルース・ガットラヴさんが醸造責任者を務めるココファームへの醸造委託を始めた。クリサワブランはここに生まれ、以降北海道白ワインの中でも抜群の人気を博す。2012年以降は、ブルースさんの10R設立に伴い、カスタム・クラッシュワイナリーにて、自身も醸造に関わり始めた。現在は、Kondoヴィンヤードとの共同醸造所にて、ワイン造りを行っている。
畑には南向きの緩やかな斜面を選んだ。「空が広い」畑の周囲には、日差しを遮るものが何もなく、日昇から日没まで絶えず陽光に満ちている。葡萄栽培の北限の地では、いい条件の畑でないと葡萄は育たない。選んだのは、厳しい環境下で数少ない葡萄栽培にうってつけの土地だった。
「雑草草生栽培」によって管理される畑には、匿名の草たちが、葡萄の足元を覆うように生茂る。
一般に秋の口には除葉が施さていれることが多い葡萄も、ここでは多くが葉のつくる影の中にいた。
「基本のポリシーは、余計なことはしないことです。 余計な作業はしない。最低限はやりますが、あまり除葉もしません。手をかけすぎないで、葡萄が本当に必要としている作業を見極めることが大事です。」
畑には、ピノ・グリ、シルヴァネール、ゲヴュルツトラミネールを主として、多品種が植えられる。ある程度区画分けされているが、それは混植に近い状態だ。
「北限にあっては栽培できる品種が限られます。
北海道ワインに勤めていたため、何となく品種の分別がついていました。その中で、より可能性があり、また、誰もやっていない品種を探っていました。そうして、たどり着いたのがゲヴュルツトラミネールやピノ・グリ、シルヴァネールといった品種です。」
中でも、ゲヴュルツトラミネールには、強い関心が示される。
「ゲヴュルツトラミネールは、北海道以外の土地では成熟が難しい品種です。長野県の標高の本当に高いところなどでは可能なのかもしれませんが。この品種は敬遠されがちで、というのも、単位面積当たりの収量が上がらないことや、香りが強すぎる点で、あまり評価されていないのです。しかし、土地に気候にあっている、この品種は外せません。」
中澤さんが、供してくださったのは
「ナカザワヴィンヤード トラミネール 2018」。
収量が多いヴィンテージにのみ造られる、ゲヴュルツ・トラミネール100%のワインだ。その味ワインに慄然とした。
香りから味わい、余韻まで、ここまで強かに構えるゲヴュルツは他にないだろう。のぼせた芳香は抑制され、酸を軸とした背骨が青白くスッと全体を貫く。
「温度が上がっても、一貫した酸があります。だから、(味わいとして)ダレない。」
そういった至高のワインを生み出す醸造を語る際に、由紀子さんが繰り返すのは「触らない」というシンプルなアイディアだ。
「なるべく触らない。そのことを心掛けています。葡萄に触るのは、収穫のとき一回だけ。触れば触るだけ葡萄が傷んでいってしまうから。摘んだ段階ですぐに絞れる果実が欲しい。」
畑での慎重な選果と共に収穫を行い、除こうは網を用いる。垂直式プレス機でゆっくり搾り、発酵に適したきれいな果汁を引き出す。それらのことを「ひとつひとつ丁寧にやる」。
あとは、緩やかな自然発酵を待つ時間。安心して待つのだ。特殊なことは何もしない。今ではそれほど酸化を恐れていないので、果汁から発酵段階では、特別に果汁を守るアプローチはしない。
「すごく小さいことなんですよね。タンクを丁寧に掃除するとか、用具をきれいに洗うとか。丁寧に絞ることもそれと同じ水準のことで。(醸造は)そういったことの積み重ねです。」
その上で、一行さんは「醸造は引き算」とまとめる。
「何かをするたびにそれはマイナスとして働くのです。もともと葡萄がもっているものを100としたときに、どれだけマイナスせずにボトル詰めまでたどり着くか。特殊なことをしようとすると引く値が大きくなってしまいます。」
現在までのワインの出来に関しては、自分たちが想像したよりも遥かに美味しいものができたという感想を持っている。アルザス系品種を多く扱う中、現地人からの評価も得た。
「アルザスの方が、栗沢ブランを飲んで、昔のアルザスみたいだと言ってくれて、それはとても嬉しいことでした。」
温暖化によって、アルコール度数をはじめ全体的なボディの力強さを増しているアルザスワイン。それに対して、未だ冷涼な味わいをしっかりと表現できる栗沢ブランは、昔懐かしくも唯一無二の存在になっている。
そんな北海道最高の白ワインの一つを造りながら、更なる可能性を見据えておこなっているは、北限の地に適した葡萄の探索だ。
「今のワインをさらによくするための、マイナーチェンジは試みています。また、現在栽培しているもの以外の品種の可能性も探っています。ソーヴィニヨン・ブランや、サヴァニャン、オーセロワがその例です。」
ひとつひとつの作業を丁寧に。
そういった考え方を「つまらない」「ドラマティックじゃない」といいながらも、伝えてくださった中澤夫妻。その一方で、その「丁寧な姿勢」は、それを間近で、実践してきた者の言葉として受け取った筆者にとって、ふたりの飾らない姿勢こそが、どんな劇的な物語よりも、リアルで克明なドラマのように思える。
「皆さんが求める量を生産できていないことが、大きな課題」という中澤さん。いつかクリサワブランが、筆者でも熟成を待てるほど容易に手に入る時が来るならば、西武2000系ほどに色づいた状態を是非味わってみたい。
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