日本ワインコラム
THE CELLAR ワイン特集北海道・余市 ドメーヌ モン
日本ワインコラム |北海道・余市 ドメーヌ・モン / vol.2 ----- 訪問日:2021年7月20日 / vol.1 はこちら ▲ 北に日本海を望む東向きの斜面に位置するドメーヌ・モンの自社畑。遠くにシリバ岬が雄大に横たわる。 昨年訪問した際に建設中とのことであった貯蔵庫(樽庫)。中には木樽が3段に積まれ、ドメーヌ自体が昨年よりワイナリー的雰囲気濃く纏うことに一役買っているように思われる。だが、当貯蔵庫は「ワイナリーっぽさ」のために建設されたわけではない。 当たり前だ。 ▲ 斜面の麓にワイナリー兼ご自宅が位置している。新設されたのは左から2番目の「樽庫」だ。 樽庫が出来た事によって、作業スペースが増えて、大分やり易くなりました。買い葡萄も色々と試しに造れるようになったので色々とやってみたいですね。今年はシャルドネもやってみようかな、と思っています、多分1樽出来るかどうか、位の量ですけど。 今までは「モンペ」、「モンシー」、「カストゥグラン」、「ドングリ」の4銘柄のみのリリースであったが、醸造蔵の隣に熟成庫(樽庫)が完成したことで、新たなラインナップを追加することが可能となった。2020年からは買い葡萄を増やし、今までにない品種を山中さんのスタイルで醸造している。新たな葡萄品種には、メルロー、ピノノワールという意外な顔触れがチョイスされている。 「メルローは晩熟なので11月上旬くらいの収穫になるのですが、それは農家さんにとっては、収穫時期が主要な品種とずれるため、ありがたいことなんです。北海道でもメルローが熟すようであれば、植えてみたいという方は多くいらっしゃって、試験区画のような形で植樹されているんです。一方、収穫量が1列、2列だと大手さんには売れない(350~500キロ)ので、そういう葡萄を見つけて買っています。」 メルローを使ったワインの名前は『モンロー』。まさか、『マリリン・メルロー』への対抗馬が日本で生まれるとは思いもしなかった。冷涼産地の葡萄らしく、清涼感のあるハーブっぽいニュアンスを持つメルローであるため、軽やかな飲み口に仕上げられているピノノワールについても試験的に植えられている葡萄を購入した。病気に弱く収量も少ないため栽培農家にとっては、手を出しにくい品種であるピノノワール。 今年から仕込みを手掛けるのは、その中でも余市で栽培の実績がある、バラ房で比較的病気になりにくいクローンだ。 これは3年目のピノノワールなのですが、スイス系のマリアフェルダーというクローンで、実が少し大きいんです。余市産です。まともにピノノワールらしさで勝負するよりは、プールサールをイメージして余韻と旨味を出した方が良いかなと。酸度も高いんですよね。商品名は未だ決まっていません。 確かに、ジュラ系の品種を思わせる淡い果実味とややスモーキーなニュアンス、ピノノワールの王道たるスタイルではないが、余市らしい旨味のある味わいに仕上がっている。また、昨年から通常販売はされない商品の生産も手がけている。2020年12月にリリースされた「ドメーヌ・タカヒコ一門セット」というふるさと納税限定商品。 ドメーヌ・タカヒコ「ナカイ・ブラン 2018」、山田堂「ヨイチ・ロゼ ピノノワール2020」、ドメーヌ・モン「モンケルン 2020」のセットという愛好家垂涎の衝撃的な内容は、文字通り瞬く間に完売した。 「もともと曽我さんが、ふるさと納税にワインを1000本位出す事が決まっていました。曽我さんはもともと地元に貢献していく事に積極的で、それに協力するようなかたちでの出品となりました。」 そんな引く手数多のふるさと納税に、今年も山中さんは限定商品を出品予定だ。 今年のふるさと納税用のワインで、ドメーヌ・タカヒコ、ランセッカ、あとうちの3ワイナリーから同じ畑のソーヴィニヨンブランを使ったワインがセットになる予定です。相馬さんという農家の方のソーヴィニヨンブランなので、『ソウマニヨンブラン』という名称にしたところ、曽我さんが気に入って、結局3ワイナリーともにこの名称でワインを出すことになりました。...
北海道・余市 ドメーヌ モン
日本ワインコラム |北海道・余市 ドメーヌ・モン / vol.2 ----- 訪問日:2021年7月20日 / vol.1 はこちら ▲ 北に日本海を望む東向きの斜面に位置するドメーヌ・モンの自社畑。遠くにシリバ岬が雄大に横たわる。 昨年訪問した際に建設中とのことであった貯蔵庫(樽庫)。中には木樽が3段に積まれ、ドメーヌ自体が昨年よりワイナリー的雰囲気濃く纏うことに一役買っているように思われる。だが、当貯蔵庫は「ワイナリーっぽさ」のために建設されたわけではない。 当たり前だ。 ▲ 斜面の麓にワイナリー兼ご自宅が位置している。新設されたのは左から2番目の「樽庫」だ。 樽庫が出来た事によって、作業スペースが増えて、大分やり易くなりました。買い葡萄も色々と試しに造れるようになったので色々とやってみたいですね。今年はシャルドネもやってみようかな、と思っています、多分1樽出来るかどうか、位の量ですけど。 今までは「モンペ」、「モンシー」、「カストゥグラン」、「ドングリ」の4銘柄のみのリリースであったが、醸造蔵の隣に熟成庫(樽庫)が完成したことで、新たなラインナップを追加することが可能となった。2020年からは買い葡萄を増やし、今までにない品種を山中さんのスタイルで醸造している。新たな葡萄品種には、メルロー、ピノノワールという意外な顔触れがチョイスされている。 「メルローは晩熟なので11月上旬くらいの収穫になるのですが、それは農家さんにとっては、収穫時期が主要な品種とずれるため、ありがたいことなんです。北海道でもメルローが熟すようであれば、植えてみたいという方は多くいらっしゃって、試験区画のような形で植樹されているんです。一方、収穫量が1列、2列だと大手さんには売れない(350~500キロ)ので、そういう葡萄を見つけて買っています。」 メルローを使ったワインの名前は『モンロー』。まさか、『マリリン・メルロー』への対抗馬が日本で生まれるとは思いもしなかった。冷涼産地の葡萄らしく、清涼感のあるハーブっぽいニュアンスを持つメルローであるため、軽やかな飲み口に仕上げられているピノノワールについても試験的に植えられている葡萄を購入した。病気に弱く収量も少ないため栽培農家にとっては、手を出しにくい品種であるピノノワール。 今年から仕込みを手掛けるのは、その中でも余市で栽培の実績がある、バラ房で比較的病気になりにくいクローンだ。 これは3年目のピノノワールなのですが、スイス系のマリアフェルダーというクローンで、実が少し大きいんです。余市産です。まともにピノノワールらしさで勝負するよりは、プールサールをイメージして余韻と旨味を出した方が良いかなと。酸度も高いんですよね。商品名は未だ決まっていません。 確かに、ジュラ系の品種を思わせる淡い果実味とややスモーキーなニュアンス、ピノノワールの王道たるスタイルではないが、余市らしい旨味のある味わいに仕上がっている。また、昨年から通常販売はされない商品の生産も手がけている。2020年12月にリリースされた「ドメーヌ・タカヒコ一門セット」というふるさと納税限定商品。 ドメーヌ・タカヒコ「ナカイ・ブラン 2018」、山田堂「ヨイチ・ロゼ ピノノワール2020」、ドメーヌ・モン「モンケルン 2020」のセットという愛好家垂涎の衝撃的な内容は、文字通り瞬く間に完売した。 「もともと曽我さんが、ふるさと納税にワインを1000本位出す事が決まっていました。曽我さんはもともと地元に貢献していく事に積極的で、それに協力するようなかたちでの出品となりました。」 そんな引く手数多のふるさと納税に、今年も山中さんは限定商品を出品予定だ。 今年のふるさと納税用のワインで、ドメーヌ・タカヒコ、ランセッカ、あとうちの3ワイナリーから同じ畑のソーヴィニヨンブランを使ったワインがセットになる予定です。相馬さんという農家の方のソーヴィニヨンブランなので、『ソウマニヨンブラン』という名称にしたところ、曽我さんが気に入って、結局3ワイナリーともにこの名称でワインを出すことになりました。...
北海道・千歳 北海道中央葡萄酒
日本ワインコラム | 北海道・千歳 北海道中央葡萄酒 「日本のピノじゃないですかね。」 それまで静かな口調で抑制的に語ってきた、三澤計史さんが、ポコポコと湧くように答えてくださったのが「自分をワインに例えると」という質問だった。 「気難しい、とか。派手じゃない。あんまり華やかではない、とか。そこまで評価が高くない、とか。世界的に認められていない、まだ成功とは言えない、とか。」 ちょっと待ってください。もう少し光の当たった言葉はありませんか。 「いや、光と影の感覚というのはあって、昔は自分を売ろう売ろうとしていたのですが、最近はそう感じることもなくなって、コツコツと一歩ずつ歩いて行くことが大事なんだろうなぁと。」 なるほど。なんとなく滲み出る気難しさ。 でも、その気持ちわからなくはありません。 さて、北海道は千歳の地で、日本のピノ的な複雑性を大いに発揮する三澤さん。山梨県を代表するワイナリー「中央葡萄酒株式会社」の経営一族の長男として生まれた彼は、約6年間のアメリカ留学で化学を学んだのち、山梨県より遠く離れた北の地でワイナリー経営に取り組んでいる。 「高校を卒業して、中央葡萄酒に入社して。その後辞めて、アメリカへ留学して、帰ってきたらまた中央葡萄酒に入社して。」 そうしてたどり着いたのが、北海道は千歳ワイナリーだった。 現在、彼が取り仕切る「北海道中央葡萄酒」は30年の歴史を持つ。 1988年、中央葡萄酒の第二支店として設立された「グレイスワイン 千歳ワイナリー」。 今現在は、ピノ・ノワール、ケルナーを使用した高品質なワインが注目されるが、始まりは北海道の特産果樹であるハスカップを原料とした醸造酒の製造だった。 「当時、千歳市の農業自体が転換期にありました。その中で、千歳市のハスカップを広めていくための起爆剤として酒造りが持ち上がった。それがきっかけで、千歳という土地に醸造施設を持つこととなりました。」 JR千歳駅より徒歩10分ほど、市街地の中に構える石造りの巨大な建造物。 醸造施設は、昭和30年代に建設された穀物倉庫を改修して造られた。 札幌軟石を使用した歴史的価値の高い建物、天井を渡る幾重にも組まれた木の梁が荘厳な空気を醸し出す。 「あまり醸造所としてのメリットは感じていませんが。」 ハスカップワインの製造でスタートを切った「千歳ワイナリー」だが、同時に進めていたのが、欧州系の冷涼地域を好む品種でのワイン造りだ。当時、山梨県の中央葡萄酒では冷涼品種の栽培がうまくいっていなかった。 「やはり山梨の圃場では冷涼品種で良い結果を得ることが難しい。しかし、北海道という冷涼地であればそういった品種に挑戦できる。そんな思いがあり、契約農家さんを探していました。特にピノ・ノワールは父(三澤茂計さん)が追う夢でもありました。その中で余市の木村さんとの出会いは1992年です。当時、すでに木村農園ではピノ・ノワールが栽培されており、実績がありました。また、ピノ・ノワールの栽培を受託していただける農家さんも、木村農園だけだったのです。」 余市町登地区、ちょうどキャメルファームに隣接して広がる木村農園は、凝灰質砂岩土壌の緩やかな東向きの斜面上に位置する。1993年から植樹・栽培が始まった「北海道中央葡萄酒」の区画。1.5haからスタートした栽培面積は、現在2.0haになった。 「白葡萄にはリースリングを考えていましたが、北海道では11月までに成熟しないと、木村さんの指摘がありました。生産量をとれる代替として、交配品種のケルナー、ミュラー・トルガウ、バッカスが挙がりましたが、その中で最もボディがのっていたのがケルナーです。」 北海道中央葡萄酒が栽培を委託する区画では、樹齢20年ほどのケルナーと、10年、25年、35年の3区画に分けられるピノ・ノワール、その2種のみが栽培されている。設立以来、中央葡萄酒が契約する農家は「木村農園」一軒のみだ。 「石灰岩が剥き出しだからミネラルが強い、といったような端的なストーリーで言い表せるものではありませんが、木村農園のピノ・ノワールは熟度が高く、骨格があって、なおかつ酸がしっかり残る。そこに魅力を感じています。」 ピノ・ノワールにこだわり、栽培を行わないからこそ醸造へ集中できる環境の中で、ワインに対するアプローチにも柔軟な姿勢が現れる。...
北海道・千歳 北海道中央葡萄酒
日本ワインコラム | 北海道・千歳 北海道中央葡萄酒 「日本のピノじゃないですかね。」 それまで静かな口調で抑制的に語ってきた、三澤計史さんが、ポコポコと湧くように答えてくださったのが「自分をワインに例えると」という質問だった。 「気難しい、とか。派手じゃない。あんまり華やかではない、とか。そこまで評価が高くない、とか。世界的に認められていない、まだ成功とは言えない、とか。」 ちょっと待ってください。もう少し光の当たった言葉はありませんか。 「いや、光と影の感覚というのはあって、昔は自分を売ろう売ろうとしていたのですが、最近はそう感じることもなくなって、コツコツと一歩ずつ歩いて行くことが大事なんだろうなぁと。」 なるほど。なんとなく滲み出る気難しさ。 でも、その気持ちわからなくはありません。 さて、北海道は千歳の地で、日本のピノ的な複雑性を大いに発揮する三澤さん。山梨県を代表するワイナリー「中央葡萄酒株式会社」の経営一族の長男として生まれた彼は、約6年間のアメリカ留学で化学を学んだのち、山梨県より遠く離れた北の地でワイナリー経営に取り組んでいる。 「高校を卒業して、中央葡萄酒に入社して。その後辞めて、アメリカへ留学して、帰ってきたらまた中央葡萄酒に入社して。」 そうしてたどり着いたのが、北海道は千歳ワイナリーだった。 現在、彼が取り仕切る「北海道中央葡萄酒」は30年の歴史を持つ。 1988年、中央葡萄酒の第二支店として設立された「グレイスワイン 千歳ワイナリー」。 今現在は、ピノ・ノワール、ケルナーを使用した高品質なワインが注目されるが、始まりは北海道の特産果樹であるハスカップを原料とした醸造酒の製造だった。 「当時、千歳市の農業自体が転換期にありました。その中で、千歳市のハスカップを広めていくための起爆剤として酒造りが持ち上がった。それがきっかけで、千歳という土地に醸造施設を持つこととなりました。」 JR千歳駅より徒歩10分ほど、市街地の中に構える石造りの巨大な建造物。 醸造施設は、昭和30年代に建設された穀物倉庫を改修して造られた。 札幌軟石を使用した歴史的価値の高い建物、天井を渡る幾重にも組まれた木の梁が荘厳な空気を醸し出す。 「あまり醸造所としてのメリットは感じていませんが。」 ハスカップワインの製造でスタートを切った「千歳ワイナリー」だが、同時に進めていたのが、欧州系の冷涼地域を好む品種でのワイン造りだ。当時、山梨県の中央葡萄酒では冷涼品種の栽培がうまくいっていなかった。 「やはり山梨の圃場では冷涼品種で良い結果を得ることが難しい。しかし、北海道という冷涼地であればそういった品種に挑戦できる。そんな思いがあり、契約農家さんを探していました。特にピノ・ノワールは父(三澤茂計さん)が追う夢でもありました。その中で余市の木村さんとの出会いは1992年です。当時、すでに木村農園ではピノ・ノワールが栽培されており、実績がありました。また、ピノ・ノワールの栽培を受託していただける農家さんも、木村農園だけだったのです。」 余市町登地区、ちょうどキャメルファームに隣接して広がる木村農園は、凝灰質砂岩土壌の緩やかな東向きの斜面上に位置する。1993年から植樹・栽培が始まった「北海道中央葡萄酒」の区画。1.5haからスタートした栽培面積は、現在2.0haになった。 「白葡萄にはリースリングを考えていましたが、北海道では11月までに成熟しないと、木村さんの指摘がありました。生産量をとれる代替として、交配品種のケルナー、ミュラー・トルガウ、バッカスが挙がりましたが、その中で最もボディがのっていたのがケルナーです。」 北海道中央葡萄酒が栽培を委託する区画では、樹齢20年ほどのケルナーと、10年、25年、35年の3区画に分けられるピノ・ノワール、その2種のみが栽培されている。設立以来、中央葡萄酒が契約する農家は「木村農園」一軒のみだ。 「石灰岩が剥き出しだからミネラルが強い、といったような端的なストーリーで言い表せるものではありませんが、木村農園のピノ・ノワールは熟度が高く、骨格があって、なおかつ酸がしっかり残る。そこに魅力を感じています。」 ピノ・ノワールにこだわり、栽培を行わないからこそ醸造へ集中できる環境の中で、ワインに対するアプローチにも柔軟な姿勢が現れる。...
北海道・余市 キャメルファーム
日本ワインコラム | 北海道・余市 キャメルファームワイナリー ガンベロ・ロッソ「ベスト・ワイン・メーカー」、ワイン・エンスージアスト誌「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」、イタリアソムリエ協会「ベストイタリアンワインメーカー」。 輝かしい受賞歴をもち現代イタリアを代表する醸造家リカルド・コタレッラ氏。 彼をも魅了し、可能性を感じさせた葡萄畑が余市にある。 キャメルファームワイナリーは、2014年に設立された、新進気鋭のワイナリーだ。食を通じて、日本固有の自然を世界に発信する。世界に誇れるワインを造る。それが地域の活性化に繋がる。キャメルファームワイナリーが抱くそういった想いに共鳴したのが、イタリアでもワイン製造を通じた社会支援を行っていたコタレッラ氏だった。彼の協力のもと土地を探す中で、辿り着いたのが余市町登地区。ドイツのモーゼルやラインガウ、フランスのシャンパーニュ地方などが含まれる「Region 1」。そんな葡萄栽培北限の土地での挑戦の礎となったのが1980年代より30年以上の栽培の歴史を持つ藤本毅さんの農園だ。北海道を代表する栽培家の美しい畑との出会いは、折しも藤本氏が後継者を探していたころのことだった。藤本氏の畑を眼前にしたコタレッラ氏の確信により、2014年以降、キャメルファームワイナリーが畑を引き継き、さらなる改良を目指して栽培に取り組む。 40年以上にわたる余市での葡萄栽培によって培われた知恵や技術、キャメルファームワイナリーの畑となった土地で、藤本氏からそれらを受け継ぐのがワイナリー長の伊藤愛さん。 2014年からキャメルファームワイナリーの栽培に携わる。 「就職氷河期真っ只中の世代で、勤務地:ドイツと書かれた求人に応募したら採用されて。ドイツで4年間、日本食のレストランに勤務しました。そこで海外を見て、今に通ずるポジティブな考え方が身についたと思います。」 キャメルファームワイナリー設立以降、藤本氏の指導を受け、姿勢からノウハウまで吸収し続けた伊藤さん。彼女の管理下にある畑は、明るく清潔感を纏っている。 キャメルファームワイナリーの畑に植えられるのは、ケルナー、バッカス、シャルドネ、レジェント、ツヴァイゲルト、ピノ・ノワールなどが10種類。その中には、新しく植樹された比較的樹齢の若い樹もあるが、樹齢40年のバッカスなど、藤本氏から受け継いだ高樹齢の葡萄も多く存在する。除草剤を使わず草生栽培が行われ、風通しのいいこの畑では、しっかりと凝縮した健全な果実が実を結ぶ。 「南北に垣根が広がり朝から晩まで太陽のエネルギーを受けることができます。 また、海からの風と山からの風が畑を吹き抜けるので、畑にとって良い環境を整えてくれる。雪、風、太陽、海、山、自然のエネルギーがあふれているんです。」 キャメルファームワイナリーに常勤する栽培スタッフは7名。 16haという日本のワイナリーとしては広大な栽培面積を手作業でケアするのは困難だ。そのため、収穫時にはグループのスタッフが集まり、広大な畑の葡萄を素早く摘み取っていく。 畑の緩やかな斜面を降りた東側の道沿いには瀟洒な外観の醸造施設がある。 周辺には小規模のワイナリーが点々とする一方で、その建物はヨーロッパの大規模なワイナリーのそれに劣らないような、規模と設備を有している。2017年に完成した最新の施設で醸造の指揮を執るのはアンジェロ・トターロさん。イタリア人であるにも関わらず、チーズが食べられない奇特な彼は、昨年からワイナリーに参画している。朗らかな笑顔が柔和な印象を与えるが、コタレッラ氏の愛弟子であり、シャンパーニュ地方、エミリアロマーニャ州を活動の中心に醸造家としてきらびやかな経歴を持つ。彼1人でも、醸造家としてトップクラスであるにも関わらず、イタリアにいるコタレッラ氏と密にコミュニケーションをとりながら、醸造プロセスを進めていくというのだから、品質へのこだわりが恐ろしい。 ワイナリーへ入ると、「サニテーションが何よりも重要」と語るとおり、清潔なステンレスタンクが整然と立ち並ぶ。スパークリングワイン用のシャルマタンクを含め、合計45基、約15万本を生産可能な規模だ。タンクだけでなく配管やタンク上のキャットウォーク、ボトリングマシンまで全てが最新でピカピカだ。ヨーロッパの先進的なワイン造りを、人材から設備まで一貫して再現している。 「どのステップについても温度管理の徹底が大事」 ワイナリーの温度管理は厳重で、最新鋭のタンクの使用にとどまらず、空調設備が充実し、ワイナリー内を14℃ほどに保っている。また、熟成庫は水温冷式の温度管理となっており、壁面に張られたパイプの中を水が巡る。その温度を調節することによって庫内の気温を保つのだ。湿度の変化や空気の動きに作用しない、熟成環境に理想的な設備だろう。 最高の畑と最高の醸造設備と最高の技術者を兼ね備えるキャメルルファームワイナリー。小規模ワイナリーとは別のステージで、余市から世界へ、ワインを発信する主人公になることは間違いない。 「毎日違うことにチャレンジしていくこと」 「毎日生きることを当たり前のことと考えないで、全力で生きること」醸造責任者のアンジェロさんと、ワイナリー長の伊藤さんは、共通のモチベーションを口にする。葡萄栽培北限の余市という土地での彼らの挑戦が世界に広く認められる未来はそう遠くもないのかもしれない。
北海道・余市 キャメルファーム
日本ワインコラム | 北海道・余市 キャメルファームワイナリー ガンベロ・ロッソ「ベスト・ワイン・メーカー」、ワイン・エンスージアスト誌「ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」、イタリアソムリエ協会「ベストイタリアンワインメーカー」。 輝かしい受賞歴をもち現代イタリアを代表する醸造家リカルド・コタレッラ氏。 彼をも魅了し、可能性を感じさせた葡萄畑が余市にある。 キャメルファームワイナリーは、2014年に設立された、新進気鋭のワイナリーだ。食を通じて、日本固有の自然を世界に発信する。世界に誇れるワインを造る。それが地域の活性化に繋がる。キャメルファームワイナリーが抱くそういった想いに共鳴したのが、イタリアでもワイン製造を通じた社会支援を行っていたコタレッラ氏だった。彼の協力のもと土地を探す中で、辿り着いたのが余市町登地区。ドイツのモーゼルやラインガウ、フランスのシャンパーニュ地方などが含まれる「Region 1」。そんな葡萄栽培北限の土地での挑戦の礎となったのが1980年代より30年以上の栽培の歴史を持つ藤本毅さんの農園だ。北海道を代表する栽培家の美しい畑との出会いは、折しも藤本氏が後継者を探していたころのことだった。藤本氏の畑を眼前にしたコタレッラ氏の確信により、2014年以降、キャメルファームワイナリーが畑を引き継き、さらなる改良を目指して栽培に取り組む。 40年以上にわたる余市での葡萄栽培によって培われた知恵や技術、キャメルファームワイナリーの畑となった土地で、藤本氏からそれらを受け継ぐのがワイナリー長の伊藤愛さん。 2014年からキャメルファームワイナリーの栽培に携わる。 「就職氷河期真っ只中の世代で、勤務地:ドイツと書かれた求人に応募したら採用されて。ドイツで4年間、日本食のレストランに勤務しました。そこで海外を見て、今に通ずるポジティブな考え方が身についたと思います。」 キャメルファームワイナリー設立以降、藤本氏の指導を受け、姿勢からノウハウまで吸収し続けた伊藤さん。彼女の管理下にある畑は、明るく清潔感を纏っている。 キャメルファームワイナリーの畑に植えられるのは、ケルナー、バッカス、シャルドネ、レジェント、ツヴァイゲルト、ピノ・ノワールなどが10種類。その中には、新しく植樹された比較的樹齢の若い樹もあるが、樹齢40年のバッカスなど、藤本氏から受け継いだ高樹齢の葡萄も多く存在する。除草剤を使わず草生栽培が行われ、風通しのいいこの畑では、しっかりと凝縮した健全な果実が実を結ぶ。 「南北に垣根が広がり朝から晩まで太陽のエネルギーを受けることができます。 また、海からの風と山からの風が畑を吹き抜けるので、畑にとって良い環境を整えてくれる。雪、風、太陽、海、山、自然のエネルギーがあふれているんです。」 キャメルファームワイナリーに常勤する栽培スタッフは7名。 16haという日本のワイナリーとしては広大な栽培面積を手作業でケアするのは困難だ。そのため、収穫時にはグループのスタッフが集まり、広大な畑の葡萄を素早く摘み取っていく。 畑の緩やかな斜面を降りた東側の道沿いには瀟洒な外観の醸造施設がある。 周辺には小規模のワイナリーが点々とする一方で、その建物はヨーロッパの大規模なワイナリーのそれに劣らないような、規模と設備を有している。2017年に完成した最新の施設で醸造の指揮を執るのはアンジェロ・トターロさん。イタリア人であるにも関わらず、チーズが食べられない奇特な彼は、昨年からワイナリーに参画している。朗らかな笑顔が柔和な印象を与えるが、コタレッラ氏の愛弟子であり、シャンパーニュ地方、エミリアロマーニャ州を活動の中心に醸造家としてきらびやかな経歴を持つ。彼1人でも、醸造家としてトップクラスであるにも関わらず、イタリアにいるコタレッラ氏と密にコミュニケーションをとりながら、醸造プロセスを進めていくというのだから、品質へのこだわりが恐ろしい。 ワイナリーへ入ると、「サニテーションが何よりも重要」と語るとおり、清潔なステンレスタンクが整然と立ち並ぶ。スパークリングワイン用のシャルマタンクを含め、合計45基、約15万本を生産可能な規模だ。タンクだけでなく配管やタンク上のキャットウォーク、ボトリングマシンまで全てが最新でピカピカだ。ヨーロッパの先進的なワイン造りを、人材から設備まで一貫して再現している。 「どのステップについても温度管理の徹底が大事」 ワイナリーの温度管理は厳重で、最新鋭のタンクの使用にとどまらず、空調設備が充実し、ワイナリー内を14℃ほどに保っている。また、熟成庫は水温冷式の温度管理となっており、壁面に張られたパイプの中を水が巡る。その温度を調節することによって庫内の気温を保つのだ。湿度の変化や空気の動きに作用しない、熟成環境に理想的な設備だろう。 最高の畑と最高の醸造設備と最高の技術者を兼ね備えるキャメルルファームワイナリー。小規模ワイナリーとは別のステージで、余市から世界へ、ワインを発信する主人公になることは間違いない。 「毎日違うことにチャレンジしていくこと」 「毎日生きることを当たり前のことと考えないで、全力で生きること」醸造責任者のアンジェロさんと、ワイナリー長の伊藤さんは、共通のモチベーションを口にする。葡萄栽培北限の余市という土地での彼らの挑戦が世界に広く認められる未来はそう遠くもないのかもしれない。
日本ワインコラム~北海道・空知ナカザワヴィンヤード
日本ワインコラム | 北海道・空知 ナカザワヴィンヤード 東京都東久留米市。 西武池袋線が動脈として横たわるこの町で、かつて、少年は電車の運転士を志した。 今日では、西武を代表する2000系から最新の40000系、01系 Laviewまでも。さらに欲張れば、東京メトロ10000系、東急5050系までも操縦することができるであろう、魅力に欠かない西武池袋線。 しかし、クハ2001の運転席にかつての少年の姿はない。 北海道岩見沢市(旧栗沢市) 。中澤一行さんが選んだ場所は、池袋へ伸びるレールの上ではなく、空へ伸びる葡萄の畝だった。 「学生時代のことですが、友人に誘われて北海道を旅行しました。無計画な車の旅で、道内をあてもなくぐるっと回ったんです。その中で広大な自然や街を見て、まるで日本じゃないみたいだと思いました。もともと知識も興味もなかったのに、いつの間にか北海道への移住願望が芽生えたんです。」 電機メーカーへの就職後、移住の夢を諦めきれず、北海道ワインへ転職した。北海道で陽の光を浴びることができる職につきたかった。しかし、栽培の責任者になって以降、自分のワイン造りに対する情熱が湧いた。2002年に葡萄栽培の新規就農者として独立し、ブルース・ガットラヴさんが醸造責任者を務めるココファームへの醸造委託を始めた。クリサワブランはここに生まれ、以降北海道白ワインの中でも抜群の人気を博す。2012年以降は、ブルースさんの10R設立に伴い、カスタム・クラッシュワイナリーにて、自身も醸造に関わり始めた。現在は、Kondoヴィンヤードとの共同醸造所にて、ワイン造りを行っている。 畑には南向きの緩やかな斜面を選んだ。「空が広い」畑の周囲には、日差しを遮るものが何もなく、日昇から日没まで絶えず陽光に満ちている。葡萄栽培の北限の地では、いい条件の畑でないと葡萄は育たない。選んだのは、厳しい環境下で数少ない葡萄栽培にうってつけの土地だった。 「雑草草生栽培」によって管理される畑には、匿名の草たちが、葡萄の足元を覆うように生茂る。 一般に秋の口には除葉が施さていれることが多い葡萄も、ここでは多くが葉のつくる影の中にいた。 「基本のポリシーは、余計なことはしないことです。 余計な作業はしない。最低限はやりますが、あまり除葉もしません。手をかけすぎないで、葡萄が本当に必要としている作業を見極めることが大事です。」 畑には、ピノ・グリ、シルヴァネール、ゲヴュルツトラミネールを主として、多品種が植えられる。ある程度区画分けされているが、それは混植に近い状態だ。 「北限にあっては栽培できる品種が限られます。 北海道ワインに勤めていたため、何となく品種の分別がついていました。その中で、より可能性があり、また、誰もやっていない品種を探っていました。そうして、たどり着いたのがゲヴュルツトラミネールやピノ・グリ、シルヴァネールといった品種です。」 中でも、ゲヴュルツトラミネールには、強い関心が示される。 「ゲヴュルツトラミネールは、北海道以外の土地では成熟が難しい品種です。長野県の標高の本当に高いところなどでは可能なのかもしれませんが。この品種は敬遠されがちで、というのも、単位面積当たりの収量が上がらないことや、香りが強すぎる点で、あまり評価されていないのです。しかし、土地に気候にあっている、この品種は外せません。」 中澤さんが、供してくださったのは 「ナカザワヴィンヤード トラミネール 2018」。 収量が多いヴィンテージにのみ造られる、ゲヴュルツ・トラミネール100%のワインだ。その味ワインに慄然とした。 香りから味わい、余韻まで、ここまで強かに構えるゲヴュルツは他にないだろう。のぼせた芳香は抑制され、酸を軸とした背骨が青白くスッと全体を貫く。 「温度が上がっても、一貫した酸があります。だから、(味わいとして)ダレない。」 そういった至高のワインを生み出す醸造を語る際に、由紀子さんが繰り返すのは「触らない」というシンプルなアイディアだ。...
日本ワインコラム~北海道・空知ナカザワヴィンヤード
日本ワインコラム | 北海道・空知 ナカザワヴィンヤード 東京都東久留米市。 西武池袋線が動脈として横たわるこの町で、かつて、少年は電車の運転士を志した。 今日では、西武を代表する2000系から最新の40000系、01系 Laviewまでも。さらに欲張れば、東京メトロ10000系、東急5050系までも操縦することができるであろう、魅力に欠かない西武池袋線。 しかし、クハ2001の運転席にかつての少年の姿はない。 北海道岩見沢市(旧栗沢市) 。中澤一行さんが選んだ場所は、池袋へ伸びるレールの上ではなく、空へ伸びる葡萄の畝だった。 「学生時代のことですが、友人に誘われて北海道を旅行しました。無計画な車の旅で、道内をあてもなくぐるっと回ったんです。その中で広大な自然や街を見て、まるで日本じゃないみたいだと思いました。もともと知識も興味もなかったのに、いつの間にか北海道への移住願望が芽生えたんです。」 電機メーカーへの就職後、移住の夢を諦めきれず、北海道ワインへ転職した。北海道で陽の光を浴びることができる職につきたかった。しかし、栽培の責任者になって以降、自分のワイン造りに対する情熱が湧いた。2002年に葡萄栽培の新規就農者として独立し、ブルース・ガットラヴさんが醸造責任者を務めるココファームへの醸造委託を始めた。クリサワブランはここに生まれ、以降北海道白ワインの中でも抜群の人気を博す。2012年以降は、ブルースさんの10R設立に伴い、カスタム・クラッシュワイナリーにて、自身も醸造に関わり始めた。現在は、Kondoヴィンヤードとの共同醸造所にて、ワイン造りを行っている。 畑には南向きの緩やかな斜面を選んだ。「空が広い」畑の周囲には、日差しを遮るものが何もなく、日昇から日没まで絶えず陽光に満ちている。葡萄栽培の北限の地では、いい条件の畑でないと葡萄は育たない。選んだのは、厳しい環境下で数少ない葡萄栽培にうってつけの土地だった。 「雑草草生栽培」によって管理される畑には、匿名の草たちが、葡萄の足元を覆うように生茂る。 一般に秋の口には除葉が施さていれることが多い葡萄も、ここでは多くが葉のつくる影の中にいた。 「基本のポリシーは、余計なことはしないことです。 余計な作業はしない。最低限はやりますが、あまり除葉もしません。手をかけすぎないで、葡萄が本当に必要としている作業を見極めることが大事です。」 畑には、ピノ・グリ、シルヴァネール、ゲヴュルツトラミネールを主として、多品種が植えられる。ある程度区画分けされているが、それは混植に近い状態だ。 「北限にあっては栽培できる品種が限られます。 北海道ワインに勤めていたため、何となく品種の分別がついていました。その中で、より可能性があり、また、誰もやっていない品種を探っていました。そうして、たどり着いたのがゲヴュルツトラミネールやピノ・グリ、シルヴァネールといった品種です。」 中でも、ゲヴュルツトラミネールには、強い関心が示される。 「ゲヴュルツトラミネールは、北海道以外の土地では成熟が難しい品種です。長野県の標高の本当に高いところなどでは可能なのかもしれませんが。この品種は敬遠されがちで、というのも、単位面積当たりの収量が上がらないことや、香りが強すぎる点で、あまり評価されていないのです。しかし、土地に気候にあっている、この品種は外せません。」 中澤さんが、供してくださったのは 「ナカザワヴィンヤード トラミネール 2018」。 収量が多いヴィンテージにのみ造られる、ゲヴュルツ・トラミネール100%のワインだ。その味ワインに慄然とした。 香りから味わい、余韻まで、ここまで強かに構えるゲヴュルツは他にないだろう。のぼせた芳香は抑制され、酸を軸とした背骨が青白くスッと全体を貫く。 「温度が上がっても、一貫した酸があります。だから、(味わいとして)ダレない。」 そういった至高のワインを生み出す醸造を語る際に、由紀子さんが繰り返すのは「触らない」というシンプルなアイディアだ。...
北海道・空知 10R
日本ワインコラム | 北海道・空知 10R / vol.2 ----- 訪問日:2021年7月19日 / vol.1 はこちら ▲ ウサギなど野生動物による被害が激しいとおっしゃっていたのは昨年。ついに今年は自社畑に金属製の柵が設置されていた。 高校生の時にチェーンのハンバーガー屋さんでアルバイトをしていたんですが、そのときに『こういう仕事は絶対にしたくない。自分は好きなことを仕事にできないとダメだ。』と思ったんです。大学では医学の勉強を始めたけれど、周囲は皆すごく真面目で、一方私は不真面目で遊んでばかりいました。そのときに、またハンバーガー屋さんのことを思い出して、この勉強も自分にとっては好きなものとはちょっと違うな、と思いました。 医学生としての道を逸れ、友人とともにワインテイスティング・コースに参加したことがきっかけでワインにのめり込んだブルースさんは、UCデイヴィスで醸造を修める。卒業後はナパヴァレーでのコンサルタントを経て、ココ・ファームで醸造を手掛けた。そして、北海道の地で独立をする際、ココ・ファームでの問題意識をより具体的に解決していく方法として選んだのが、委託醸造というスタイルだった。 もともと委託醸造所をつくりたかったんです。 当時、日本には他に例がありませんでした。本業で委託醸造やっているところはなかったんです。 その動機としては、だいぶ前の話ですけどココ・ファームで海外原料を使用してワインを造っていた、ということがあります。畑を用意する必要もなく、電話一本で届くし、価格も安かったのですが、それはやっぱりやめたほうがいいと思っていました。コスト面でのメリットがあまりにも大きかったので、理解をしてもらうには中々の時間がかかりましたが、最終的には90年代半ばに全てを国産原料に切り替えました。その一方で、日本で良い葡萄を見つけることはとても難しいことでした。日本での葡萄栽培はやはり困難なものでしたが、そこで日本の葡萄栽培技術を向上させていきたいと思ったのです。 北海道をはじめ、新しい生産者が次々と生まれている地域では、ドメーヌに拘る傾向が強く存在している。ある種、自己実現的な要素が強い分野であるから、0から10までを自分自身の手で仕上げたいという思いが、新規ワイナリーに共通しやすい理想であることは納得のいく話だ。一方で、委託醸造は葡萄農家の育成というより、産業の発展に主眼が置かれた取り組みである。ワインを造れば、原料の葡萄の質がわかる。原料の質が分かれば、その品質の向上を目指した改善をすることができる。結果的にワイン造りが葡萄栽培の技術を押し上げるというものだ。 ▲ 10Rワイナリーのブルース・ガットラヴさん。訪問日は忙しく瓶詰めをされていました。 地方を回って若い葡萄栽培家と話をしているときに、できれば自分の葡萄だけでワインを造ってほしい、と言われることが多くありました。 そうすることで、自分の葡萄の質が見えてくるからです。 ココ・ファームでは一部でそういうこともやっていましたけれど、まだ量としては少しだけでした。そういう栽培家の思いを汲んだ上で、やはり委託醸造所が必要だと感じました。農家の方が最初にワインを造る際、色々なハードルがありますが、委託醸造所があることでそういった問題がクリアになってくる。 やはりいいワインを造っていくためには、葡萄農家が育っていかないといけません。それは日本ワイン全体の今後の成長のためにも絶対必要なことですし、それができていれば成長は早いと思います。 また、新規ワイナリー立ち上げを志す人々が、10Rでの委託醸造を経て独立をはたしているというのも事実だ。 実際に、我々が北海道で訪問したワイナリーのうち5軒は、“10R卒業生”といったような括りで呼ぶことが出来る生産者だ。そういった卒業生たちのワインや、上幌ワインとしてリリースしている自社ブランドのワインについて、共通するのが自然なワイン造りである。謂わばナチュラルなスタイルを日本に伝えた第一人者とも言える彼が、現在の彼自身のワイン造りを振り返るとき、そこには偶然性や不均質性のような、イレギュラーをポジティヴに受け入れる姿勢が垣間見られる。 赤はピノ・ノワールで白はソーヴィニヨン・ブラン。 両方とも最初から質的には良いものが取れているのですが、まだ満足できる収量に達していません。あと、ピノ・ノワールはもっと深い味わいにしたいのですが、まだ若木だからやや単調な味わいの果実が採れているだけで、時間の問題だと思います。また、赤にも白にも言えますが、収穫時に畑の場所によって果実の熟度にバラつきがあります。バランスを取ることも重要だけれども、そういったバラつきがあっても良いと思っています。その方がいろいろな味わいがワインの中に現れて面白いと思うんです。 自らを「伝統的なイタリアワイン」に例えるブルースさん。どこか野暮ったいような側面がありながらも、適切なシーンにおいてはそれが見事な美点として作用する。そのような不揃いな味わいという特徴に価値を見出す姿勢も、自然な造りによる不均質を面白いとすると共通の軸を持っているように思われる。...
北海道・空知 10R
日本ワインコラム | 北海道・空知 10R / vol.2 ----- 訪問日:2021年7月19日 / vol.1 はこちら ▲ ウサギなど野生動物による被害が激しいとおっしゃっていたのは昨年。ついに今年は自社畑に金属製の柵が設置されていた。 高校生の時にチェーンのハンバーガー屋さんでアルバイトをしていたんですが、そのときに『こういう仕事は絶対にしたくない。自分は好きなことを仕事にできないとダメだ。』と思ったんです。大学では医学の勉強を始めたけれど、周囲は皆すごく真面目で、一方私は不真面目で遊んでばかりいました。そのときに、またハンバーガー屋さんのことを思い出して、この勉強も自分にとっては好きなものとはちょっと違うな、と思いました。 医学生としての道を逸れ、友人とともにワインテイスティング・コースに参加したことがきっかけでワインにのめり込んだブルースさんは、UCデイヴィスで醸造を修める。卒業後はナパヴァレーでのコンサルタントを経て、ココ・ファームで醸造を手掛けた。そして、北海道の地で独立をする際、ココ・ファームでの問題意識をより具体的に解決していく方法として選んだのが、委託醸造というスタイルだった。 もともと委託醸造所をつくりたかったんです。 当時、日本には他に例がありませんでした。本業で委託醸造やっているところはなかったんです。 その動機としては、だいぶ前の話ですけどココ・ファームで海外原料を使用してワインを造っていた、ということがあります。畑を用意する必要もなく、電話一本で届くし、価格も安かったのですが、それはやっぱりやめたほうがいいと思っていました。コスト面でのメリットがあまりにも大きかったので、理解をしてもらうには中々の時間がかかりましたが、最終的には90年代半ばに全てを国産原料に切り替えました。その一方で、日本で良い葡萄を見つけることはとても難しいことでした。日本での葡萄栽培はやはり困難なものでしたが、そこで日本の葡萄栽培技術を向上させていきたいと思ったのです。 北海道をはじめ、新しい生産者が次々と生まれている地域では、ドメーヌに拘る傾向が強く存在している。ある種、自己実現的な要素が強い分野であるから、0から10までを自分自身の手で仕上げたいという思いが、新規ワイナリーに共通しやすい理想であることは納得のいく話だ。一方で、委託醸造は葡萄農家の育成というより、産業の発展に主眼が置かれた取り組みである。ワインを造れば、原料の葡萄の質がわかる。原料の質が分かれば、その品質の向上を目指した改善をすることができる。結果的にワイン造りが葡萄栽培の技術を押し上げるというものだ。 ▲ 10Rワイナリーのブルース・ガットラヴさん。訪問日は忙しく瓶詰めをされていました。 地方を回って若い葡萄栽培家と話をしているときに、できれば自分の葡萄だけでワインを造ってほしい、と言われることが多くありました。 そうすることで、自分の葡萄の質が見えてくるからです。 ココ・ファームでは一部でそういうこともやっていましたけれど、まだ量としては少しだけでした。そういう栽培家の思いを汲んだ上で、やはり委託醸造所が必要だと感じました。農家の方が最初にワインを造る際、色々なハードルがありますが、委託醸造所があることでそういった問題がクリアになってくる。 やはりいいワインを造っていくためには、葡萄農家が育っていかないといけません。それは日本ワイン全体の今後の成長のためにも絶対必要なことですし、それができていれば成長は早いと思います。 また、新規ワイナリー立ち上げを志す人々が、10Rでの委託醸造を経て独立をはたしているというのも事実だ。 実際に、我々が北海道で訪問したワイナリーのうち5軒は、“10R卒業生”といったような括りで呼ぶことが出来る生産者だ。そういった卒業生たちのワインや、上幌ワインとしてリリースしている自社ブランドのワインについて、共通するのが自然なワイン造りである。謂わばナチュラルなスタイルを日本に伝えた第一人者とも言える彼が、現在の彼自身のワイン造りを振り返るとき、そこには偶然性や不均質性のような、イレギュラーをポジティヴに受け入れる姿勢が垣間見られる。 赤はピノ・ノワールで白はソーヴィニヨン・ブラン。 両方とも最初から質的には良いものが取れているのですが、まだ満足できる収量に達していません。あと、ピノ・ノワールはもっと深い味わいにしたいのですが、まだ若木だからやや単調な味わいの果実が採れているだけで、時間の問題だと思います。また、赤にも白にも言えますが、収穫時に畑の場所によって果実の熟度にバラつきがあります。バランスを取ることも重要だけれども、そういったバラつきがあっても良いと思っています。その方がいろいろな味わいがワインの中に現れて面白いと思うんです。 自らを「伝統的なイタリアワイン」に例えるブルースさん。どこか野暮ったいような側面がありながらも、適切なシーンにおいてはそれが見事な美点として作用する。そのような不揃いな味わいという特徴に価値を見出す姿勢も、自然な造りによる不均質を面白いとすると共通の軸を持っているように思われる。...
日本ワインコラム~北海道・達布 山崎ワイナリー
日本ワインコラム | 北海道・達布 山崎ワイナリー 「総理大臣ですね。」 小さい頃の夢を問われた大人がそう答える場面に居合わせることなんて、ほとんどない。 アルコールを摂取しているか、行き過ぎた懐古趣味か、あるいはその両方か。 生来の野心家である。という最もシンプルな選択肢は想像に難い。 大人という生き物は、過去に対して斜に構えられるくらいにはお利口だからだ。 「小学生の頃ですが、通学路にゴミが落ちていたのです。 それらをなくすにはどうしたらいいのかを突き詰めて考えた結果、総理大臣になりたいと思いました。 この地域のゴミだけが無くなればいいのか、なんてことも考えて、段階を踏んだうえで辿り着いた夢です。 ちなみに、まだ諦めてはいません。可能性は0ではありませんから。」 どんな小学生だ。 ともあれ、彼は野心家であった。 山﨑ワイナリ-で葡萄栽培を担当する山﨑太地さん。 彼の野心の先には、地域貢献というキーワードがある。 この土地での僕たちのワイン造りは、過疎すすむ地域の中、観光業の分野でどこまで地域に寄与貢献できるかという挑戦とも言い換えられます。まず達(たっ)布(ぷ)という小さな土地に人を呼んでこなければならない。それには、達布にいい農村を築かなければならない。そのためにいいワインが必要だ。そういった順序での考えのもと、その実現のために頑張って毎日葡萄畑に立っています。 三笠市は過疎化が深刻な地域の一つだ。国勢調査によると2015年時点での人口は9,076人。5年前と比較して11%以上の減少をみせた。達布は三笠市の中央、アイヌ語で「頂上の丸い山」を意味する達布山とその山裾によって構成される地区だ。 山﨑家は4代に渡って、その地で農業を営んできた。父・和幸さんの代では大規模な穀物栽培へと事業をシフトしたが、農産物の高付加価値化、農家の自立を目指し、葡萄栽培から醸造、販売までを家族で手掛けるワイナリー事業への取り組みを開始、2002年に「山﨑ワイナリー」を設立した。ワインの生産がしっかりとした基盤として完成された現在、山﨑さんがその先に見据えるのは、農村への観光だ。 「達布という土地に来て、ワインを飲んで、買って、帰っていくという観光のモデルでどこまで人を集められるか。というのが課題です。年々温暖化が進んでいる北海道ですから、十勝、帯広のような平地で農作物を武器に観光分野で勝負することは厳しいと思っています。一方で、達布のような斜面の土地であれば葡萄の栽培や、農村の景観を強みとして勝負できる。これは僕たちの利点になりえると考えています。」 観光分野での地域貢献を目指す山﨑ワイナリーで、まず眼を奪われるのが瀟洒な木造建築だろう。 週末に営業している直販のワインショップは、木の温かみを感じる明るい空間に仕上がっている。 大規模なワイナリーを除いて、こういった施設を持つことはあまり多くのケースがない。 感染予防の観点から現在は試飲を行っていないとのことだが、本来であれば試飲用のボトルが立ち並ぶ。 「山﨑ワイナリーではワインの販売量に関して、7割を直販、2割をインターネット販売、1割を酒販店卸で割り振りをしています。 最も楽な方法は全量を酒販店へ卸すことですが、観光モデルを作っていく中で、ワイナリーでワインを販売することの価値を重く見ています。また、6年前になりますが音楽フェスも開催しました。ワイナリーの裏手にステージがあるのです。道内のイベント企画会社、芸能プロダクションと協力し、延べ1200人を動員しました。少し離れた大型ショッピングモールの駐車場を借りて、ワイナリーとの間をシャトルバスに往復してもらって。」 観光地としての発展にはやはり交通機関が欠かせないが、周辺状況はなかなか厳しい。 1時間に1度停車する各駅停車を擁する無人の峰延駅の前には、タクシープール3つ分の罅割れたアスファルトが広がる。...
日本ワインコラム~北海道・達布 山崎ワイナリー
日本ワインコラム | 北海道・達布 山崎ワイナリー 「総理大臣ですね。」 小さい頃の夢を問われた大人がそう答える場面に居合わせることなんて、ほとんどない。 アルコールを摂取しているか、行き過ぎた懐古趣味か、あるいはその両方か。 生来の野心家である。という最もシンプルな選択肢は想像に難い。 大人という生き物は、過去に対して斜に構えられるくらいにはお利口だからだ。 「小学生の頃ですが、通学路にゴミが落ちていたのです。 それらをなくすにはどうしたらいいのかを突き詰めて考えた結果、総理大臣になりたいと思いました。 この地域のゴミだけが無くなればいいのか、なんてことも考えて、段階を踏んだうえで辿り着いた夢です。 ちなみに、まだ諦めてはいません。可能性は0ではありませんから。」 どんな小学生だ。 ともあれ、彼は野心家であった。 山﨑ワイナリ-で葡萄栽培を担当する山﨑太地さん。 彼の野心の先には、地域貢献というキーワードがある。 この土地での僕たちのワイン造りは、過疎すすむ地域の中、観光業の分野でどこまで地域に寄与貢献できるかという挑戦とも言い換えられます。まず達(たっ)布(ぷ)という小さな土地に人を呼んでこなければならない。それには、達布にいい農村を築かなければならない。そのためにいいワインが必要だ。そういった順序での考えのもと、その実現のために頑張って毎日葡萄畑に立っています。 三笠市は過疎化が深刻な地域の一つだ。国勢調査によると2015年時点での人口は9,076人。5年前と比較して11%以上の減少をみせた。達布は三笠市の中央、アイヌ語で「頂上の丸い山」を意味する達布山とその山裾によって構成される地区だ。 山﨑家は4代に渡って、その地で農業を営んできた。父・和幸さんの代では大規模な穀物栽培へと事業をシフトしたが、農産物の高付加価値化、農家の自立を目指し、葡萄栽培から醸造、販売までを家族で手掛けるワイナリー事業への取り組みを開始、2002年に「山﨑ワイナリー」を設立した。ワインの生産がしっかりとした基盤として完成された現在、山﨑さんがその先に見据えるのは、農村への観光だ。 「達布という土地に来て、ワインを飲んで、買って、帰っていくという観光のモデルでどこまで人を集められるか。というのが課題です。年々温暖化が進んでいる北海道ですから、十勝、帯広のような平地で農作物を武器に観光分野で勝負することは厳しいと思っています。一方で、達布のような斜面の土地であれば葡萄の栽培や、農村の景観を強みとして勝負できる。これは僕たちの利点になりえると考えています。」 観光分野での地域貢献を目指す山﨑ワイナリーで、まず眼を奪われるのが瀟洒な木造建築だろう。 週末に営業している直販のワインショップは、木の温かみを感じる明るい空間に仕上がっている。 大規模なワイナリーを除いて、こういった施設を持つことはあまり多くのケースがない。 感染予防の観点から現在は試飲を行っていないとのことだが、本来であれば試飲用のボトルが立ち並ぶ。 「山﨑ワイナリーではワインの販売量に関して、7割を直販、2割をインターネット販売、1割を酒販店卸で割り振りをしています。 最も楽な方法は全量を酒販店へ卸すことですが、観光モデルを作っていく中で、ワイナリーでワインを販売することの価値を重く見ています。また、6年前になりますが音楽フェスも開催しました。ワイナリーの裏手にステージがあるのです。道内のイベント企画会社、芸能プロダクションと協力し、延べ1200人を動員しました。少し離れた大型ショッピングモールの駐車場を借りて、ワイナリーとの間をシャトルバスに往復してもらって。」 観光地としての発展にはやはり交通機関が欠かせないが、周辺状況はなかなか厳しい。 1時間に1度停車する各駅停車を擁する無人の峰延駅の前には、タクシープール3つ分の罅割れたアスファルトが広がる。...