「ニースのホームステイ先で、ワインを毎日出してくれて、それでワインを初めて美味しいと感じました。それまで、日本に美味しいワインってあまりなかったんですよね。元々は親の仕事にも興味がなくワインには関心がなかったのですが、フランスで体験した、家族や友達が集まり、ワインを中心にして人間関係とかが広まっていく、ということを地元の山梨でもやれたらなぁ、と思いました。 大学時代は、授業にも出ていなかったのですが、フランスに行ったら新しい人生の始まりという感じでした。」
煌びやかなニューライフ。周りには、自分のことを知っているものなど誰もいない。地中海を臨み、国籍の違う仲間たちと、夜な夜なワインをボトルで回し飲みする、スーパーモラトリアムな日々。そんな語学学校生活を経て、野沢さんは、ブルゴーニュのCFPPA(ボーヌ農業促進・職業訓練センター)でディプロマを得た。

しかし、意外にも彼が最も影響を受けた生産者として、名前を挙げるのは 「Domaine de Souch」、1987年創業という異端な歴史を持ちながら、ジュランソンを代表すると評される生産者だ。
広大な敷地に、荘厳かつ柔らかい空気纏って佇む、養蚕農家を移築したという日本家屋の母屋が印象的な『くらむぼんワイン』。自家醸造の酒蔵として大正2年に創業した同社は、協同組合となって近隣の農家の葡萄からワインを醸造。

昭和37年から、農家の株を買い取り「有限会社山梨ワイン醸造」が設立。後に株式会社化を経て、2014年、『株式会社くらむぼんワイン』と社名変更がなされた。 野沢たかひこさんは、同社の三代目に当たる。 「フランスから帰国してワイナリーで働き始めた当初は、日本のような雨が多い 気候では農薬を効果的に散布しなければブドウの収穫が出来ないと考えて、叢生 栽培は行っていましたが、化学農薬・肥料は普通に使っていました。」 そういった、謂わば「農家として普通の栽培」を行っていた野沢さんが出会ったのが、福岡正信著作の「自然農法 藁一本の革命」だった。

「土の変化が表れるまでには、7,8年がかかりました。土壌に有機物が増えることによって、腐植が現れ、バクテリアが増殖し、例え無堆肥でアンバランスな土壌でも、それらが植物にとって充分な養分の供給を助ける。畑を見渡す限りでは、福岡正信氏の自然農法が見せつけるような鬱蒼とした共存の世界とは異なるが、しかし、私たちに見えない土の中では、しっかりと自然の共生が存在している。


野沢さんのテロワールへの意識は、ワイナリー独自の解釈や実践にとどまらず、地域全体を生かしていくという、産業として長期的な視野をもったものへと移行している。GI山梨という地理的表示が発効して、間もなく「山梨ワイン」から「くらむぼんワイン」に社名を変更したことにも、その意識の一端が現れているのかもしれない。
「自社のワイナリーのことも大事ですが、ここ数年は勝沼という産地をいかにして守っていくか、も重要と考えるようになりました。」
勝沼ワイン協会で「GI勝沼」の成立を目指す「地理的表示勝沼検討部会」の部会長を務める野沢さん。高齢化や離農による後継者不足の問題、莫大な人気を博するシャインマスカットのような生食用葡萄との共存などを含め、勝沼の歴史を象徴する伝統的な甲州種の普及・保存に取り組んでいる。