日本ワインコラム | 山梨 くらむぼんワイン
「一番の転機は、フランスへ行ったことです。23歳の時に留学をしました。当時は、家業を継ぐこともあまり考えていなくて、弟がいるので、どちらかが継ぐのだろうなぁ、といったような認識でした。」
アイルトン・セナに憧れて、慶応大学理工学部にまで入り、ゆくゆくはルノーでのエンジニアリングライフを見据えていたかどうかは存じ上げないが、ともあれ、野沢たかひこさんは、FW16程に不安定な大学時代に、学歴社会をコースアウトして、南仏へ飛び立った。
「ニースのホームステイ先で、ワインを毎日出してくれて、それでワインを初めて美味しいと感じました。それまで、日本に美味しいワインってあまりなかったんですよね。元々は親の仕事にも興味がなくワインには関心がなかったのですが、フランスで体験した、家族や友達が集まり、ワインを中心にして人間関係とかが広まっていく、ということを地元の山梨でもやれたらなぁ、と思いました。 大学時代は、授業にも出ていなかったのですが、フランスに行ったら新しい人生の始まりという感じでした。」
煌びやかなニューライフ。周りには、自分のことを知っているものなど誰もいない。地中海を臨み、国籍の違う仲間たちと、夜な夜なワインをボトルで回し飲みする、スーパーモラトリアムな日々。そんな語学学校生活を経て、野沢さんは、ブルゴーニュのCFPPA(ボーヌ農業促進・職業訓練センター)でディプロマを得た。
しかし、意外にも彼が最も影響を受けた生産者として、名前を挙げるのは 「Domaine de Souch」、1987年創業という異端な歴史を持ちながら、ジュランソンを代表すると評される生産者だ。
彼女は夫亡き後、60歳代でワイン造りを始めた、ビオディナミの先駆者の一人 です。彼女の造る「Jurancon sec(辛口)」や「moelleux(甘口)」をタンクから試飲させていただいた時、そのあまりにピュアで、土地の花や土の風味に溢れ、自然な風味でそして幸せな余韻も永く続くワインに、とにかく圧倒されました。これこそがテロワール、いやブドウがある風土がそのままワインに出ていると。もちろん、彼女の人柄がワインに表れていたのは言うまでもありません。
広大な敷地に、荘厳かつ柔らかい空気纏って佇む、養蚕農家を移築したという日本家屋の母屋が印象的な『くらむぼんワイン』。自家醸造の酒蔵として大正2年に創業した同社は、協同組合となって近隣の農家の葡萄からワインを醸造。
昭和37年から、農家の株を買い取り「有限会社山梨ワイン醸造」が設立。後に株式会社化を経て、2014年、『株式会社くらむぼんワイン』と社名変更がなされた。 野沢たかひこさんは、同社の三代目に当たる。 「フランスから帰国してワイナリーで働き始めた当初は、日本のような雨が多い 気候では農薬を効果的に散布しなければブドウの収穫が出来ないと考えて、叢生 栽培は行っていましたが、化学農薬・肥料は普通に使っていました。」 そういった、謂わば「農家として普通の栽培」を行っていた野沢さんが出会ったのが、福岡正信著作の「自然農法 藁一本の革命」だった。
この本の影響を受けて、フランスにいた時は、人と自然が関わってテロワール が出来ていく、と学びましたが、人の関わり方について、この日本、勝沼でフラ ンスと同じ考え方で良いのだろうか、もっと人の関りを減らすことが重要なので はと考えるようになりました。
フランスのテロワールの概念は、「土壌・気候」の二つの要素によって構成されるものではなく、そこに「人間」を組み込んだものである。実は「テロワール」という言葉自体、そこまで歴史が深いものではない。
ともあれ、それは人間の介入を最適化することによって、自然を保存、最大化するという、思想といってもあまり言い過ぎではない。少なくとも、三要素の相互作用の中で人間の介入は、あって然るべきだというのがテロワールの概念である。もしかしたら、詳らかに話せば差異はあるかもしれないが、野沢さん、(雨宮さん、)筆者と、我々は「テロワール」という概念に関しての認識をおおよそ同じくしている。同じ学び舎にいたのだから当然かもしれない。そういう授業があるからに。
さて、福岡正信氏の思想は、それとは異なる。「人間というものは、何一つ知っているのではない、ものには何一つ価値がある のではない」 土壌・気候・人間は、ある種「自然」という言葉の中に溶解しており、その中で、人間の役割というものは極めて小さい。というより、自然へ還る中で、あらゆる記号的要素は個々の意味を失っている。ともすれば、自然と称された総合的なそれ自体にしか価値がないので、土壌も気候も人間も「何もしない」こと以外あまりすることがない。人間がすることと言えば、粘土団子を投げることくらいだ。しかし、シャンベルタンに粘土団子を投擲している生産者は、あまり聞いたことがない。
「まずは それまで使っていた化学農薬や肥料を捨て、土地の活力を取り戻すため に、マリア・トゥーンなどのビオディナミ調合剤を使い始めました 。そして同時 に不耕起、無肥料とし、使用するのは最低限のボルドー液と硫黄のみにしました。 当初2年間は、ブドウの半分が腐ってしまうなどし、収穫の時も選果が大変でし た。これでは経営が成り立たなくなる、と周り中の反対にあいましたが、3年目 あたりから、ブドウに、ワインに変化が表れました。反対にあうほど固執するの は私の良さでも欠点でもあります。」
「マリア・トゥーン」は、ルドルフ・シュタイナーに端を発するビオディナミ農法に乗っ取って、マリア・トゥーン女史が調合した牛糞を主な構成要素とする調合材。「不耕起、無肥料、無農薬、無除草」を説く福岡正信氏の自然農法を取り入れながら、西洋で最もそれに近い「ビオディナミ」の要素を加え、2007年より、独自の自然に即した栽培方法を辛抱強く続けた。
「収穫1ヵ月前から定期的にブドウを試食して周りますが、その風味がよりピュ
アなものになり、旨味のある酸や甘味になってきたと感じました。そして果皮や
葉も次第に厚くなってきました。これは、ブドウの自己防御機構が活性化されて
きたのだと思います。病原菌が入ってくると、ブドウはファイトアレキシン(抗
菌物質、カテキンやタンニン酸など)を蓄積したり、細胞壁を硬化させたりして
自身を守ります。これもブドウの風味の変化となってくるのでしょう。」
「土の変化が表れるまでには、7,8年がかかりました。もともとはイネ科など の雑草が多かったのですが、マメ科が増えてきたのです。同時に土壌の腐植化 が進み、耕さなくても柔らかい土に変わってきました。肥料をあげないと土壌の欠乏症状がブドウに出るように思われますが出ませんでした。 これは、マメ科の根に根粒と言われるコブを作る根粒菌(空気中の窒素ガスを アンモニアやアミノ酸に変えて植物に提供。代わりに根粒菌は植物からエネルギー源の糖分をもらう)の働きや、AM菌根菌(菌糸を植物の細胞壁の内側に入れ、リン、亜鉛、銅、鉄など植物が吸収しにくい無機養分を植物に与える。根域から離れたリンも植物が吸収できる。また植物の水分吸収も助け、乾燥に強くなる)の働きにもよるものと思います。土壌診断をすると明らかに窒素やミネラルが不足しているのですが、こうした腐植や菌類のお陰でブドウは土壌中の栄養分を最大限に利用できているので、欠乏症状は出ないのです。」
土壌に有機物が増えることによって、腐植が現れ、バクテリアが増殖し、例え無堆肥でアンバランスな土壌でも、それらが植物にとって充分な養分の供給を助ける。畑を見渡す限りでは、福岡正信氏の自然農法が見せつけるような鬱蒼とした共存の世界とは異なるが、しかし、私たちに見えない土の中では、しっかりと自然の共生が存在している。
テロワール、とよく言いますが、雨が少なく土壌も痩せている西洋の考えとは異なり(西洋では雑草にブドウが負けないようにしたり、養分を与えるために土寄せや、耕す行為が必要かと思います)、日本では人間の関わりを最大限に排除しながらテロワールが表現されたブドウが出来たらと考えています。
一方で、醸造というプロセスを経るワインには、人為的介入が必須と言ってもいい。「ブドウを放っておけばワインができる。」というのが、自然農法らしいと言えばそうであるし、「大昔は」という枕詞を置いて、そう豪語する生産者がいないかと言えばそうでないのかもしれない。 2007年から自社畑でのワインでは、ブドウの果皮についた野生酵母を使用、契約農家の葡萄についても可能な限り人為的な介入を避けている野沢さんだが、「私は亜硫酸不使用ではありません。」と、敢えてポレミックな話題を投げかける。
「近年、アセトアルデヒド、酢酸エチルや硫化水素(メルカプタン)など揮発酸 (醸造欠陥臭)が多く入っているワインを見かけますが、これらはブドウ由来の風味ではなく醸造臭とも言え、大量に入っていると好ましくない生成物と思います。こうしたワインはテロワールや品種が感じられないものが多いと思います。私は、テロワールが感じられるワインは、農薬の使用を極限まで抑えた栽培をして土着酵母を増やし、果皮についた土着酵母を使用し、適度な亜硫酸の使用で有害微生物の発生を抑えた醸造によって生まれると考えています。」
「人の関わりを最小限に減らすべき、という福岡氏の考え方、テロワールが感じられる自然な味わいのワインを造る、というYvonne氏の考え方があり、そこから、くらむぼんワインなりの栽培・醸造方法を探りながら今があります。」
また、野沢さんのテロワールへの意識は、ワイナリー独自の解釈や実践にとどまらず、地域全体を生かしていくという、産業として長期的な視野をもったものへと移行している。GI山梨という地理的表示が発効して、間もなく「山梨ワイン」から「くらむぼんワイン」に社名を変更したことにも、その意識の一端が現れているのかもしれない。
「自社のワイナリーのことも大事ですが、ここ数年は勝沼という産地をいかにして守っていくか、も重要と考えるようになりました。」
勝沼ワイン協会で「GI勝沼」の成立を目指す「地理的表示勝沼検討部会」の部会長を務める野沢さん。高齢化や離農による後継者不足の問題、莫大な人気を博するシャインマスカットのような生食用葡萄との共存などを含め、勝沼の歴史を象徴する伝統的な甲州種の普及・保存に取り組んでいる。
ワインの伝統やワイン文化には、しっかりしたワイン産地が存在することが前提になります。新規就農の促進や農地の融通、甲州種の系統選抜や栽培方法の改善によるブドウの品質向上、全量を契約栽培とすることでの農家の保護、こうした基盤造りを進めながら、最終的には鳥居平や菱山といった勝沼の特徴あるテロワールが感じられるワイン(甲州)が出来ることを目指して、GI勝沼を勝沼全体で協力しながら作っていきたいと思っています。
日本における自然農法と西洋のテロワールの概念を混合して導き出された、野沢さん独自のワイン造り。そういった実践的な側面の他方で、Domaine
du
Souchのワインを「人柄がワインに表れていた」と評した野沢さん。そんな彼の奥床しくも饒舌な性質も、ワインにも表れているのではなかろうか。自然の産物、テロワールの表現という要素ももちろんだが、「(三澤)彩奈ちゃんには「(自社の自然酵母を)野沢酵母」って呼ばれてるんですよ。
変態醸造家だって。いい意味ですよ。」
と極めておじさん的に微笑むような、そんな人柄の介入をワインの中にも感じずにはいられない。もちろんいい意味で。
ということで、はっきり言って、筆者の介入の余地がほとんどなく、それゆえに大変時間がかかった本コラムだが、だとすればここは一貫して末尾のメッセージもそのまま伝えるべきだろう。異国ではあるがほぼ同じ学校の大先輩による、地中海に臨む地平線ほどに澄んで雄大な言葉にて、本稿を結ばせていただきます。
結局一番大事なのは、食事に合って、飲む仲間と楽しく1本飲めてしまうワインであることです。そういったワインを造るために栽培や醸造など色々と考えて行うのですが、「くらむぼんさんのワイン美味しいです!」とか「一番好きです!」とか言っていただけるのが実は一番嬉しいです。何年ワインを造り続けても初心に戻る、というか、フランスに渡って最初に南仏でホームステイしていた時、家族・友人が集まって食卓を囲み、プロヴァンスの家庭料理とプロヴァンスの地ワインを楽しく飲んだ原風景が私のワイン造りの原点となっています。
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