2020.11.26 更新

山形・酒井ワイナリー

山形・酒井ワイナリー

酒井ワイナリー

酒井 一平 氏

「赤湯の急斜地で百年前の農業に立ち返る生粋のヴィニュロン」


日本ワインコラム | 東北・山形 酒井ワイナリー

クロード・レヴィ=ストロース。
実存主義に支配された大戦後の西欧近代、その停滞を構造主義というツールを用いて喝破したフランスの知の巨人である。 酒井ワイナリーの酒井一平さんが、好きな本として真っ先に挙げたのは、彼の代表作『野生の思考』。
この著作の中で彼は、西欧近代の科学思考によって、非合理で野蛮であると貶められてきた未開人の思考を、人類に普遍的なものとして鮮やかに復権して見せる。その中で、レヴィ=ストロースは「近代知」、つまりは、まず概念があり、それを必要十分な材料で組み立てていくに思考法に対置して、「ブリコラージュ(日曜大工)」というキー概念を導入する。

ブティック入口の窓際には、酒井さんが大切に育てる多肉植物の鉢がぎっしり。 ▲ ブティック入口の窓際には、酒井さんが大切に育てる多肉植物の鉢がぎっしり。

それは、ありあわせの素材をもとに、それらを組み合わせ、各素材が本来もつものとは別の目的や用途に流用をしていく思考法を指す。冷蔵庫にあるありあわせの食材で夕食を賄うことなどは、ブリコラージュの発想を象徴している身近な現象であろう。
「なるべく外部から物を調達しないで、周りにあるものでやりくりをする、完結させるというのが基本的な考え方ですね。」 そう語る酒井さんのワイン造りは、構造主義的視点からみた、「ブリコラージュ」そのもののように思われ、「野生の思考」の実践のようにも解釈できる。

おしどりカラーが雅なE3系 JR新幹線つばさ127号 山形行 ▲ おしどりカラーが雅なE3系 JR新幹線つばさ127号 山形行

明治に入ってから西洋人が訪れる機会が出来て、その事を商機ととらえた酒井ワイナリーの初代が西欧諸国の時代が訪れるにあたって、それらの国で飲まれていたワインを造る事を決意したようです。初代は様々な事業を起こしていたビジネスマンだったようですが、ワイン造りもそうした中の事業の一つとして始まりました。

山形県南陽市赤湯。
明治25年、東北で最も長い歴史を持つワイナリーは、開国と共に増え始めた外国人の来訪に目を付けた初代・弥惣さんによって創業された。周囲を険しい山に囲まれた盆地は、果樹栽培に向く土地ではなかったため、多くの畑は山肌を削って作られた。 「赤湯のある場所は白竜湖という湖が昔一帯に広がっていた名残のある盆地で、平地は湿地地帯で、田んぼにしかならない。ワインを造ろうと考えると山を切り開いて急な斜面でブドウ畑をつくるしか方法がありません。その為赤湯のブドウ畑はそのほとんどが急斜面にあります。」

JR赤湯駅東口。パラグライダーを模したモダンなデザインは、旧通商産業省のグッドデザイン賞を受賞している。 ▲ JR赤湯駅東口。パラグライダーを模したモダンなデザインは、旧通商産業省のグッドデザイン賞を受賞している。

市街地にあるワイナリーを離れ、すっかり紅葉も終わり寒々しい装いの山道を上ること数分。前方が置賜盆地によって景色が開け、手前には奥羽本線と山形新幹線を見下ろす南東向きの山肌。その上に広がるのが「名子山」という酒井ワイナリーを代表する自社葡萄畑だ。

名子山は名前の「名」に、子供の「子」と書くのですが、これは当時ほとんど水飲み百姓、農奴、奴隷みたいな意味合いで、何も持っていないという事なのですね。この山は本当に痩せた土地で、石だらけなので、何の作物も育てられないし、取れないという意味でこの名前だったのだと思います。

ワイナリーには温もりのある、小さなブティックが隣接している。 ▲ ワイナリーには温もりのある、小さなブティックが隣接している。

30度以上の斜度を持つ急斜面の上には、ゴロゴロと石が転がっており、土壌は礫質や砂質が主体となっている。段々畑の石垣も、元々畑にあったおびただしい数の岩石を使って築き上げたものだ。南東向きの急傾斜地という条件から、日当たりがよく、水はけも良好だ。 一方で、この畑には人間が介入するのが非常に困難な環境だ。急斜面という条件下から、おおよその機械が導入することが難しい。そこで、酒井さんのブリコラージュでは羊を用いる。現在9頭いる羊は、食肉、羊毛、としての用途から逸れて、この畑では除草剤として機能する。

「この通り急傾斜地なのでまったく(作業の)機械化が出来ない場所なのですよね。草刈り機は当たり前のように入れませんし、段々畑になっている事もあり、農薬散布をするにしても全て手作業です。それで(この区画では)羊を飼って放牧をするようになりました。(羊を飼うようになって)草刈はまったくしていません。やはり手作業ではコントロールが難しいのですが、この通り羊を放牧することでコントロールが出来ています。年間何回にも分けて草刈を行わない限りこの状態に保てないのですが、羊にとっては餌なのでしっかりと食べてくれる。」

南東を向いた名子山の畑からは、水田が広がる置賜盆地を一望できる。 ▲ 南東を向いた名子山の畑からは、水田が広がる置賜盆地を一望できる。

羊の放牧以外にも、他の葡萄畑には見られない、酒井ワイナリーに独特の風景がある。そのひとつが葡萄の樹の隙間を埋めるように此処そこに生える雑木だ。一般的に、葡萄以外の樹木を野放しにしておくことなど、「畑」においてはあり得ないが、名子山の斜面には葡萄の樹の数と同数と言っても過言ではないほどの雑木たちが当然のように居座っている

30度以上の斜度を持つ急斜面 ▲ 30度以上の斜度を持つ急斜面

私としてはこの状態の方が、つまりブドウの木があってそのすぐ傍に他の木がある、という状況の方が自然界の中では当たり前に近い状態なのかなと考えています。雑木も支柱みたいな役割で考えています。もともと冬場に雪の重さで潰れないように、支柱を立てていますが、普通に支柱を立てても重さで倒れてしまいます。木だと地中に根を張っているので倒れないですよ。

冬には雪下ろしが欠かせない、積雪地。その土地における越冬のための支柱として、酒井さんは自然に生育する雑木を用いる。しかしそれらは、雪を支えるために生えているわけでは当然ない。本来ただ生えているだけなのだ。そのような「ブリコラージュ」的な用途のズレは、積雪が強烈な冬季だけでなく夏季にも作用する。訪問時は落葉していたが、雑多に生え広がる広葉樹は、夏場の厳しい暑さや降雨から葡萄を守る、天然のビニールの屋根として機能しているのだ。

「赤湯の夏場は40℃近くになります。この過酷な夏場を乗り越えるのに必要な“涼しい場所”は何かというとそれが雑木のつくる木陰なのです。またこれらの雑木がある事によって微生物相の多様化が進み、結果として病害虫を減らす事が出来るのではないかと考えています。 これを人工的に行った形がビニール栽培です、日光は通すが雨は通さない。無農薬栽培で行えるし、ものすごく凝縮感のあるブドウになる。」

また、酒井ワイナリーの畑では水をも葡萄の味方につけている。
降雪地帯の急斜面。そういった立地ならではの現象が湧き水だ。雪解け水が常に伏流する山間部の畑には、所々に沢水が湧き出るポイントがある。そういった水は常に12度程の温度を保つため、冬は温かく、夏は冷たく空間を保つ緩衝材のような役割を果たす。そういった環境で育った葡萄は、より凝縮感をもった果実に仕上がるという。

羊の足跡がついた湿った土壌 ▲ 羊の足跡がついた湿った土壌
羊を入れていない畑は、手作業で除草。雑草がてんこ盛りの姿から、羊の除草パワーを感じずにはいられない。 ▲ 羊を入れていない畑は、手作業で除草。雑草がてんこ盛りの姿から、羊の除草パワーを感じずにはいられない。

(水が豊富な土壌は)一般的にブドウの栽培には向いていないと言われていますよね、むしろ水を抜く、暗渠排水するとか。水が無いと結局雨水に頼ることになる。それだと梅雨時期は雨水をどんどん吸い上げてしまうし、浅根が張る原因になってしまう。日本は雨の量が多いので、土壌の水を抜いた所で雨水を吸収し易くなり逆効果になってしまう。だからやはり土地に良質の水が眠っているのかが良い畑の条件になるのかなぁと考えるようになりました。

その環境にある自然を生かし利用する。ワイン造りに最適とされる西欧の環境という観念的な理想から、畑を作り上げていく発想とは真逆の、まさに「野生的」な農業を酒井さんは実践している。
酒井さんによる野生の思考の実践は、醸造工程においても明確に行われている。「デザインするのを止める」という言葉で表現される彼の醸造は、近代科学的な設計図ありきの思考法から大きく逸脱している。 「こういうワインを作りたいからそれに必要なブドウを育てて、それに必要な醸造の技術を用いて自分の理想のワインを造り出す、という順番でもう既に考えていません。自然環境から与えられたものを自然な方法でワインにしていく、という方向性です。」

羊が逃げないように、鉄柵で覆われる畑。それでもやんちゃな羊は柵を超え、時にはJRの線路まで駆けていくのだとか。 ▲ 羊が逃げないように、鉄柵で覆われる畑。それでもやんちゃな羊は柵を超え、時にはJRの線路まで駆けていくのだとか。

そういった「自然な方法」を語る際に、酒井さんが導入するのが「動物的」「植物的」というふたつのキーワードだ。醸造という文脈では殆ど何も意味しない記号のようにも思われるが、身近な材料をオマージュしたそれらの素朴なアイディアは、酒井ワイナリーの自然なスタイルの根幹を作り上げている。
「赤ワインについては身近に居る羊の行う反芻を真似ている感じですね。だから反芻について調べてみたのですが、本当に効率的でよく出来ているなと感じていました。」反芻とは、羊などの哺乳類が行う摂食方法で、口内で咀嚼した植物を反芻胃へ送り込み、固体層と液体そうに分離、反芻胃内に存在する共生微生物によって部分的に消化したのち、個体層を再び口に戻して咀嚼する、という過程を繰り返すことを指す。

「森」と化した畑には雑木が生い茂り、支柱、葡萄、雑木が混然一体としている。 ▲ 「森」と化した畑には雑木が生い茂り、支柱、葡萄、雑木が混然一体としている。
羊の力によって、見事に短く刈り揃えられた下草をご覧いただけるだろうか。 ▲ 羊の力によって、見事に短く刈り揃えられた下草をご覧いただけるだろうか。

この運動を赤ワインの醸造における、ルモンタージュという抽出に擬え、食道の仕組み(蠕動運動)に似たチューブポンプを導入。また、収穫時の選果を「緩く」行って「圃場での発酵」と捉えられるような果実を残すことで、自然発酵の状況に雑多な微生物が存在するカオスを作り出す。

胃袋の2つ手前に反芻胃があるのですが、その胃袋の中は数多くの微生物が存在します。そこで最終的に発酵して、4番目の胃袋の消化が本来の消化機能を持つ場所なのですが、その前に起きている言わば発酵までの“カオスの状態”を如何に作り出せるのかが醸造の中でも肝だと思っています。その結果より複雑味のある味わいのワインに仕上がります。

羊の消化運動を模倣した動物的な醸造に対して、白ワイン醸造には植物的なアプローチが実践される。「動物的」に対して、運動が作用しないこの醸造法は、果実をそのまま生かすような、静的なアプローチとして対比が可能であろう。

急斜面には所々に石垣が設けられる。少々崩れ気味なのは、これまた羊の仕業である。 ▲ 急斜面には所々に石垣が設けられる。少々崩れ気味なのは、これまた羊の仕業である。

10年以上前ですが、柿の実が落ちているのを見たら、ヘタが取れてその場でプクプクと発酵していました。白ワインの造り方も同じなのかなと思います。白ワインの場合、全て潰して果汁にしてタンクに収めます。それを収めた時にブドウの一粒が(表現)出来るのかが、白ワインの造り方だと思います。

酒井さんは、果汁の中にブドウの粒を存在させるようなアプローチとして、デブルバージュをし過ぎないことを挙げる。発酵前に果汁を冷却し、不純物を沈澱させるこの作業において、取り除く沈殿物を敢えて抑える。それによって、自然な形の葡萄の一粒一粒を果汁内に留めることが出来るのだ。
「100年前の農業」
酒井さんが、自身のワイン作りの中で回帰を目指すのは、日本の古い農村のあり方とも捉えられる。 「家畜もいて、その餌も自社畑から取って草を干し草にして冬与えている。(小屋に使う)敷き藁は自生するすすきを使います。それらで造った堆肥をまた畑に戻す、全てを循環させる事によってその地域の個性がより強まっていくのではないか、そういう考えです。」

酒井ワイナリーの自社畑「狸沢(むじなざわ)」。カベルネ・ソーヴィニヨンをはじめとしたボルドー系品種が垣根仕立てで混植されている。 ▲酒井ワイナリーの自社畑「狸沢(むじなざわ)」。カベルネ・ソーヴィニヨンをはじめとしたボルドー系品種が垣根仕立てで混植されている。
「自然界の当たり前を大切に」する酒井さんのマインド ▲ 「自然界の当たり前を大切に」する酒井さんのマインド

奇しくも親日家であったレヴィ=ストロースは、晩年に日本を訪れた際、農村で働く人々や市場、その食文化に触れ「日本にこそ、野生の思考が生きている」と評した。今現在も失われ続けている自然と文化が折り重なった日本の原風景に、レヴィ=ストロース同様、可能性を見る酒井さんの意思は揺るぎない。

ワイナリーの看板犬 ▲ ワイナリーの看板犬

人生に勝利条件があるのか?という問いに対しての自分の答えは、揺るがない存在になれるかどうかという事です。それなのでレヴィストロースのような哲学的な勉強もしましたし、自然科学に関する著作も読んでこの問に対して考えてみました。ワイン造りを通して感じたその答えが「自然そのもの」である事。常に変化をしながらも不動である、そういう存在になりたい。

取材を通し、赤湯における「野生の思考」のバイタリティを強く示してくれた酒井一平さん。赤湯のレヴィ=ストロースがワイン造りを通じて切り拓く道を目にして、筆者自身も「構造主義」に頭を打たれた時に似た感動を覚えた。 既に、その高度な哲学を身体に覚え込ませた酒井さんによって積み重ねられていく「赤湯のワイン」の歴史が、日本ワインにとって大きな礎となることは、疑う余地がない。構造主義的に。

Interviewer : 人見  /  Writer : 山崎  /  Photographer : 山崎  /  訪問日 : 2020年11月26日

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