日本ワインコラム | 東北・山形 朝日町ワイン
18歳の頃から41年間、朝日町ワインに人生を捧げてきた
「ミスター・叩き上げ」
現在は取締役・営業本部長を務める近衛秀敏さんは、自らのモットーに、同社の信条を引用する。自身の生き方そのものが、勤務する会社の信条にぴったりと重なるという現象はあまり一般的ではないはずだが、製造から営業までほとんど全ての職務を経験している近衛さんにとって、その一致は自然なことなのかもしれない。
「会社とご自身で同じなんですか。」という問いにも、「そうですね。」の一言である。そうですか。と言うしかない。
朝日町ワインと言えば、「価格は控えめながら、安定して高い品質のワイン」というイメージが漠然とでも浮かぶのではないだろうか。近衛さんは、そんな同社に対する、安心・信頼を築き上げた立役者の一人だ。工場長の任を解かれて、営業として各地を回るようになってからも、現場の指導を続け、2代に渡って現場責任者の育成に努めてきた。
私自身はもうワインを作っていなくて、15,6年前から、それまで会社になかった営業職をやっています。(加えて)私たちはチームですから、個人がワイン造りのすべてを決めてきたということはないんです。
仮に私なら「俺が造った。」ぐらいのことを吹聴しそうなものであるが、いや待て、そういう疾しい人間はそもそも「まじめに」造れないのである。やはり仕事と背中で語る昭和の勤め人的ハードボイルドを纏った近衛さんの存在をして、現在のワイナリーの地位の確立があるのだろう。 さて、朝日町は、山形県中央部、新潟県との県境を構成する朝日連峰の主峰、大朝日岳の東部山麓地域に位置する。最上川の急流が南北21kmにわたり蛇行する町内は、そのの76%が山林に覆われ、何処を見渡しても自然が立ちはだかる。それも雄大なタイプの。
山河に埋め尽くされたこの土地には、最上川が形成する河岸段丘の傾斜地が多くみられる。「河岸段丘」という単語から「果樹園」を条件反射的に導けないようでは、受験生失格。2013年にも地理Bにて出題されているように最上川流域では、その段丘を利用した果樹栽培が活発なのである。 ともあれ、この朝日町も豊富な段丘面にリンゴ、ブドウをはじめとした果樹園が広がっている。町の特産物は「無袋(むたい)ふじ」という、果実に保護用の袋をかぶせずに栽培されるふじリンゴ。有袋類とは呼ばないだろうが、袋を被ったリンゴに比べてより甘みが増すという。近衛さんのご実家もリンゴ農家だそうだ。「リンゴとワインの里」たる朝日町で、リンゴ農家に生まれ、41年間ワイナリーに務めている近衛さん。もはや町が歩いているようなものである。
さて、朝日町ワインの設立は昭和19年にまでさかのぼる。
当時、日本政府はワインの成分の酒石酸から、電波探知機の圧電素子に使う軍需物資「ロッシェル塩(酒石酸カリウムナトリウム)」を取り出すことを目的に、全国のブドウ産地に命じてワイン工場を造らせた。それによって、山梨県や山形県などの果樹産地に軍の保護を受けたワイン工場が多く誕生したが、その一つが朝日町ワインの前身となる「山形果実酒製造有限会社」だった。
より有効な材料が発見されたことで、圧電素子としてのロッシェル塩は次第に姿を消し、軍需物質の生産という役割が失われて以降は、甘口ワインブームから需要が高まっていたポートワインの原料となる赤ワインを、大手メーカーへ供給することが主な事業となった。
しかし、昭和50年ころから甘口ワインの需要が衰退し、メーカーからの受注もなくなっていく。またしても供給先を失った状況。そんな中で、ブドウ農家を守るため、山形朝日農協と朝日町が共同出資し、第三セクター方式の会社運営へと転換した。着眼したのは、ポートワインの原料として、町内に多く作付けされていたマスカット・ベーリーA。朝日町ワインは、この品種での「日本一」を目指し、品質にこだわった「まじめなワイン造り」をスタートさせた。
現在は11.3haにも及ぶ朝日町町内の契約農家の畑、そして、自社工場である朝日町ワイン城の前に広がる0.7haの自社畑から年間35万本のワインを生み出す、日本でも指折りの規模のワイナリーとなっている。
起伏の激しい地形である朝日町には、マスカット・ベーリーAの畑だけでも、標高110m~330m、最上川の河岸から山の上まで様々な立地が存在する。その中で、マスカット・ベーリーAという品種での日本一を目指す当ワイナリーにおいて、最も注目され、道中、近衛さんが最も誇らしげに紹介したのが「柏原ヴィンヤード」だ。
2013、2014年と、柏原ヴィンヤードで葡萄を栽培する「成原ぶどう園」、「武田ぶどう園」のマスカット・ベーリー
Aのみを使用した、「マイスター・セレクション 遅摘み マスカット・べーリーA
2011、2012」が、2年連続で日本ワインコンクール金賞・部門最高賞・コストパフォーマンス賞の三冠を受賞。朝日町ワインを代表する銘醸畑として、世に名を知らしめた。
朝日町の市街地から南、細かく蛇行する急な山道を上がると、山林の中に切り拓かれたブドウ畑が広がる。標高約330m、元々は「松も生えない」ほど痩せた雑木林であったこの土地は46年前に開墾された。現在4軒の農家が、シャインマスカットやピオーネなどの高級生食用ブドウと醸造用ブドウのベーリーAの栽培を行っている。
古くは海中にあった土地のようで、アザラシのような動物の化石が見つかったりもしています。
河川による浸食、運搬や、開墾時の整備などの影響で、固い粘土質が多くを占める朝日町の土壌の中で、柏原ヴィンヤードは、かつて海底に存在していた時の地層をより顕著に残している。その特色は、砂質を多く含む粘土質土壌。数センチ掘り進めただけで、黄褐色の細かい砂質が姿を現す特殊な土地からは、ワインに独特の個性をもたらすマスカット・ベーリーAが収穫される。
「柏原の山砂と粘土が混ざった畑からのマスカット・ベーリ―Aにのみ
独特なスパイス香が顕れるんです。」
実際にテイスティングしてみると、山形県のマスカット・ベーリーAらしく、いわゆるフォクシーフレーバーは控えめに抑えられている。それに代わる形で、フルーツの香りの奥から立ち昇ってくるクローヴやシナモンのようなスパイスの香り。ほかの産地には、他の畑には見られない稀な個性だ。
「『良いブドウがなければ良いワインはうまれない』を当社のモットーとして醸造を行っているため、農家さんが丹精込めて作ったブドウのポテンシャルを最大限引き出すことを常に意識しています。ブドウのその力を引き出すことが最大の使命であり面白みでもある。ブドウの力、その土地の個性を出来るだけ多く、1本のボトルに凝縮できるよう心掛けています。」
第三セクターという大きな生産規模、原料の多くが「買いブドウ」であるという点、全社でわずか14名という職員数、そういった環境は「個性の表現」というような細やかな作業にとって、逆境であるかのようにも思われる。しかし、そういった環境の中で生まれた、この「柏原ヴィンヤード」の単一キュヴェは、「まじめなワイン造り」を信条におき、土地とブドウに「まじめに」向き合う「朝日町ワイン」の姿勢が生んだ結晶といえよう。
また、マスカット・ベーリーA種でのサクセスストーリーは、「柏原ヴィンヤード」だけにとどまらない。
2016年に開催されたG7伊勢志摩サミットでは、「マイスターセレクション
バレル セレクション ルージュ2013」が会食の席で提供された。
実際に欧米の首脳へ供された12種のワインのほとんどが、長野県産、山梨県産であった中、唯一の山形県産ワインとして、選出された朝日町ワインだった。
山形県産国内改良品種のマスカット・ベーリーAとブラック・クイーン、そしてツバイゲルトレーベをフランス産ワイン樽で樽熟成し100樽以上の中から厳選したバレル
セレクション。日本に固有である葡萄品種の表現として、山形県の味わいが世界に示されたことは、朝日町ワインにとってだけでなく朝日町ぶどう生産組合にとっても、大きな自信となった。
マスカット・ベーリーAでの「日本一」を目指し、確かな地位を築いている朝日町ワインであるが、若い世代が製造に携わる中で、新たなステップアップを感じさせる変化も起こっている。
その一つが、数多いラインナップの中、その存在感が少しずつ強まってきている白ワインだ。実際に国内のコンクールでも、5銘柄が賞を獲得しており、それは近年行った設備の改新による部分も大きいそうである。大規模な生産ラインにおいては、白ワインのフレッシュな質感をしっかりと保存するために、設備投資が一定のウェイトを占める。
密閉式(クローズとオープンが出来る)タイプのプレス機を導入しました。白系、特にソーヴィニヨンブランなどの酸化に弱い品種を守ることができるようになり、品質の向上につながっています。
また、近衛さんがやや得意げに披露してくださった、スパークリング充填機械設備「インライカーボネーター」。スパークリングワインのイメージがあまり強くない同ワイナリーが2017年に導入した、国内で3台しか存在しないハイテクノロジーだそうだ。ワインを極低温にし、CO2の溶解度を高めることで、繊細な泡をもつスパークリングワインに仕上がる。
ワイナリー自社畑における変化もあった。 田んぼに土壌改良をして得た土地には、ツヴァイゲルトなどの品種が多く植樹されていたが、2020年から新たな挑戦が始まった。
今年(2020年)自社畑の一部をカベルネソーヴィニヨンに改植しました。今まで生産量も少なく安定的な生産が難しかったのですが、数年後は「ドメーヌ朝日町ワイン」として、新境地となる赤ワインが出来ることを期待しています。
第三セクターというステージで、農協や自治体と共に創意工夫を続ける「朝日町ワイン」。マスカット・ベーリーAで、その名を全国に知らしめたワイナリーでは、さらなる品質向上と、他品種への挑戦も始まっている。「まじめなワイン造り」が今後も、山形の土地を生かした低価格・高品質の安心と喜びを与えてくれることは、きっと間違いない。
後部座席から見た背中がそう語っていた。
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