日本ワインコラム | 長野 ナゴミ・ヴィンヤーズ
千曲川ワインバレーの右岸側、長野県東御市和(かのう)上ノ山地区にあるナゴミ・ヴィンヤーズにお邪魔した。インタビューさせて頂いた池さんは、この地で13年前からワイン造りに向き合っておられる。前職は東京でシステム・エンジニアをされていた。今でこそ、千曲川ワインバレーと言われる程、ワイナリーが乱立するこの地域も、移住した当初は1軒だけワイナリーがあるというような状態だった。そこから一つ一つ実績と信頼を積み上げてきた池さんは、畑に常に流れるそよ風のように、どこまでも優しく懐が深い。
やっぱりワインが大好きだから。
前職は、ネットワーク関連のシステム・エンジニア。なぜ、ワイン関連に転向したのだろう? 「技術は入れ替わりが激しく、システムを作ってもすぐにまた新しいものが出てくる世界。そういう仕事をしていて、世代を超えて受け継がれるものに憧れがあった。」とお答えになった上で、
「今まで人に聞かれたらそう答えてきたのだけど、4回仕込みを終えて気付いたことがあるんです。サラリーマンを辞めてワイン農家に転向することはかなりのジャンプで、こう答えることで自分の背中を押してあげていたんだな、と。実際のところは、どうしても造ってみたかった、ということだと思います。それに尽きるな、と。ワインがずっと大好きで。その当時はまだ珍しかったけど、小規模でワインを造っている人がポツポツと出始めているのを記事で読んだりして、居ても立っても居られなかったんです。」
正直な方だなぁ、と思った。嘘偽りのない言葉。
と同時に、自分を鼓舞し続けるための大義名分があったからこそ、乗り越えられた困難も沢山あったのだろうなとも思った。池さんは決して困難を大袈裟に語ろうとしないし、ご自身の凄さを表に出されない。しかし、考えてもみてほしい。移住した当時はワイナリーなんてほぼない場所。そこに東京から移住してきたヨソモノ。しかも農業とは無縁のシステム・エンジニア。ワイン用のブドウを育てたいと言ってすんなりいい土地が見つかることはなかっただろう。池さんも最初は巨峰農家のもとで栽培を学んでいたそうだ。そこで信頼を得て紹介してもらえたのが今の農地。この辺りは巨峰の名産地だ。このエリアは粘土質土壌で、ブドウの粒は伸びにくいが、味が濃いという特徴がある。生食用の場合、目方売りなので粒が小さいのは不利になるが、醸造用のブドウにとってはむしろいい条件になる。ここだ!と思い即決したそうだ。
好きだから苦労が苦労でなくなる。
ブドウは一度植えるとずっと付き合っていくもの。だからこそ、「自分がぐっとくる品種じゃないとやってられない」。池さんが育てるのは、ピノ・ノワール、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブランだ。
ブドウの木を植えて9年目。ブドウの木の主幹はしっかりと締まっていて、理想的でゆるやかな成長を遂げている。畑は見込んでいた通り、いい場所だった。南西向きで日照量がしっかりある。穏やかな風が終始スーっと感じられる。標高は高いが、風があるので冷気が溜まらず、凍害もでないそうだ。また、風が吹くことで湿気が溜まりにくく病気にも強い。農家によって株元の雑草に対する考えは異なるし、池さんも昔は刈らなかったと前置きされた上で、今は雑草があると湿気が溜まりやすいと考え、しっかり刈るようにしているそうだ。
粘土質土壌は養分が多く含まれるので、味の濃いブドウに仕上がる一方、水はけの悪さがネックになることも事実だ。池さんの畑はなだらかな斜面になっているので、水の流れはいい。また、池さんが信頼を寄せ、シードル用のリンゴを買い入れている農家のアドバイスを聞き、ブドウの根元に土を盛り高畝に仕上げることで、更に水はけのよさを確保している。
池さんは言う。
「セオリーではなく、地元の農家のアドバイスが一番だ」
と。柔軟に人の意見を聞き入れ、試してみる。こういう姿勢が地元の人の信頼を勝ち得ている所以なのだろう。
ここまでしっかりと畑の管理をしても、ブドウは病気にかかりやすい。基本的に殺虫剤はまかないが、最小限の農薬は散布する。農薬散布はタイミングが命だと仰る。効果の8割方はタイミングで決まる、と。しっかりと畑のブドウと向き合っているからこそ、タイミングを逸せず、必要最小限の量に抑えることができるのだろう。
ワインが大好きだからできること。大変だけど、心の奥底からやりたいことだから。実際にブドウ栽培してみると面白い。常に前のめりだし、一年があっという間に過ぎる。「気づいたら60、70(歳)になってるんだろうなぁ。」と優しく微笑まれた顔が印象的だ。
優しい造りを心掛ける。
ワイン用ブドウ栽培を始めて5年後の2018年8月、ワイナリーが竣工した。それまでは近くのワイナリーに委託醸造をお願いしていた。ワイナリーを設立するためには、いくつかの条件をクリアにする必要があるのだが、2017年10月、委託醸造を依頼した近所のワイナリーの様子を見学している時に、条件が全て揃っていることに気付いた。今だ!と思い、全力で動いたという。1年未満で竣工しているのだからそのエネルギーに驚かされる。
「この辺りで2番目に小さいと思う」とご自身で評される、コンパクトで機動的な造りのワイナリーだ。設計に携わった人全員がワイナリー建設の経験ゼロというのだから大胆だ。確かに、ぎりぎりの予算でスタートしたということもあるのだろうが、コンサルタントに依頼するよりも、本当に必要なものを厳選し、余分なものをそぎ落とした形で設計することができたそうだ。
先輩醸造家からワイナリー内での作業工程を聞いて導線に落とし込んだと言う。その為、設計図は何度も引き直した。セオリーではなく、実際に事業を行っている先輩の意見を尊重する。ここでも池さんの誠実な姿勢が感じられる。また、実際に使ってみて必要なものがあれば、毎年改良を加えているそうだ。スモールスタートで、検証&改良をクイックに行う、アジャイル型な手法がエンジニアっぽいではないか!
既に飲んだこともある読者もいるかと思うが、池さんの造るワインは、果実味はしっかり感じられるが飲み口は非常に優しい。この味わいの裏には醸造の過程においても様々な努力が積み重なっているのだ。
徹底的な選果を行う
雑味のない仕上がりにするためには、健康的なブドウのみを使用することがマストだ。池さんは、畑での選果に加え、ワイナリーにブドウを運んできた後も手作業で徹底的に選果する。腐敗果に加え、果実が割れているものも除くのだ(果汁が出ると酸化と腐敗が進む)。
温度管理を怠らない
ブドウ本来の繊細な香りを残すためには、酸化や腐敗を徹底的に避ける必要がある。そのために収穫後はブドウをしっかり徹底的に冷やす。果実味をしっかりと出すため、発酵前にブドウの果皮を果汁に漬け込むスキン・コンタクトやコールド・ソーキングと呼ばれる工程を行うそうで、その際も適切な温度でしっかり徹底して冷やすと言う。
ワインを熟成させる場所もワイナリー内に仕切りを設けて設置されている。小さいスペースで適度な湿度と温度をバランスよく管理することはかなり難しいそうだが、試行錯誤を繰り返しバランスを見出している。
ホール・バンチ・プレスを行う
圧搾は、ブドウの実についている小さな枝も含めた全房で行うそうだ。そのため、ワイナリーにあるプレス機のサイズは大きなものを用意されている。全房で圧搾するとスパイシーな香りが抽出され仕上がりに複雑味が増す他、タンニンも抽出されるのでワインの骨格がしっかりする。一方でリスクもある。ブドウが畑で完熟していなければ、枝の植物的な香りが強く出てしまうので、ブドウ本来の香りが打ち消されてしまう。全房を使って醸造しているということは、ブドウが健全に熟していることの現れなのだ。
ブドウに振動を与えない:Gravity Flow
ワイナリーの中に一歩足を踏み入れると最初に気が付くのは天井の高さだ。これも先輩醸造家のアドバイスを聞き入れてそのような設計にしたらしい。コンパクトなワイナリーであっても、高さがあることで作業導線がスムーズになるだけでなく、池さんの目指す味わいのワイン造りに必要な構造となっている。ブドウを収穫してから瓶詰めするまでの過程には、何度か容器を入れ替える必要がある。ポンプを用いて入れ替えるケースが多いが、池さんはポンプを用いないGravity Flowという手法を取り入れている。
Gravity(重力)Flow(流れ)はその名の通り、重力を使って高い場所から低い場所に果汁を移動させるというものだ。ポンプよりも果汁に与える振動が少なく、酸素の巻き込みも少なくなる。果汁をより優しく扱うことができるので、繊細な味わいを損なわずエレガントな仕上がりになるのだ。
抽出も優しく
発酵時、果皮からタンニンや色素を抽出するため、果帽(樽の上に浮かぶ果皮や種子)を果汁に漬け込み、色素やタンニンを抽出する。池さんはピジャージュとルモンタージュと言われる手法を合わせて行う。ピジャージュは人が櫂で混ぜ込む作業だ。非常に重労働だが、優しいながらもしっかりと抽出することが可能だ。池さんは櫂のサイズを小さくすることで、より優しい抽出を行っているという。ピジャージュの後ルモンタージュ(発酵樽のワインを抜いて果帽にかけて抽出を行う)に切り替える。ルモンタージュは果帽を壊すことがないので、優しい抽出が継続されるという塩梅だ。
優しく丁寧に。池さんの息遣いが聞こえてきそうな工程である。池さんは野生酵母でワインを発酵させている。4回仕込みを行って得た気付きがある。
「ブドウの実はブドウの木が付ける。
ブドウジュースをワインに変えるのはブドウに付着した酵母が行う。
人間がワインを造るなんてことはなくて、人間ができることはブドウなり酵母なりが生きやすい環境を整えてあげることくらい。間接的なアプローチしかできない。」
ということだ。なんて謙虚な…。
ブドウや酵母が作り上げたものを受け取って、そこからベストな状態に持っていくと。「あるものからベストなものを作るのは、エンジニア時代から得意なんですよ。ここに強みがあるのかもしれません。」
とも仰っていた。
最近リリースした「グラスホッパー」という名のオレンジワインは、ブドウの個性をうまく引き出せたからこそ生まれたワインだ。お客様からのリクエストが多い一本だ。池さんは言う。
「これからもいいブドウを作って、その個性を前面に出すようなワインを造りたい」
挑戦はまだまだ続くのだ。
誠実であること
委託醸造をお願いしていた時は、収穫のタイミングも仕込みの方法も自分の思い通りにならなかった。当たり前と言えば当たり前の話である。不満に思ったこともあるが、いざワイナリーを設立して委託醸造を受ける立場になってみると、ワイナリーにはワイナリー側の事情があることも分かった。両方の立場を経験してみて思うことがある。互いの立場を理解し、人間的に信頼できる人でないと一緒に仕事はできない、ということだ。
いみじくも、池さんは「誠実であることを大事にしている」と仰った。その後に「こう思うということは不誠実なのかな・・・」とボソッと呟いておられたが、全くそんなことはない。ブドウにも、酵母にも、ブドウ農家にも、ワイン仲間にも誠実な気持ちで向き合っておられるからこそ、周りの農家や醸造家からも信頼が厚く、委託醸造を受ける立場にもなっているのだろう。
ワインが大好きだという気持ちに突き動かされている池さん。大学生の頃、イタリアワイン専門ショップで勧められた1300円くらいのソアヴェのマグナムボトルを食中酒として楽しんだ時にワインの美味しさに目覚めたそうだ。30代前半に男友達と夜桜を見ながら湯呑で飲んだワインも異様に美味しかった。ワインは気取らなくていいんだと、ワインに対する接し方が変わった瞬間だ。その後、30代半ばで奥様と一緒に行ったフレンチレストランで飲んだワインも忘れられないという。飲んで感動したことは体が覚えているのだ。
今はその感動を届ける側にいる。ブドウ栽培も醸造も奥様と2人だけなので労働力は限られているが、その中で天塩にかけてブドウを育て、ワインに仕上げる。手間暇がかかるので製造本数が限られているが、徐々に本数も増えて、必要とされるお客様の手元に届くようになってきた。
ワインが大好きだという真直ぐな気持ちで造られたワインは、優しい飲み口で寄り添ってくれる、そんなワインだ。「自分が造ったワインは、やっぱり自分っぽい。」と仰っていた池さん。誠実な人が誠実に造ったワイン。皆さんも試してみませんか?
P.S.
池さんはThe Blue Heartsの「1000のバイオリン」の歌詞が大好きだそうだ。イライラや恨みがどうでもよくなっていく様子が描かれていて、ワイナリーを始めた頃の気持ちと重なって、最後は感謝しか残らないことに気付くそう。実際に歌詞を読んでみると、なるほどと思うものだ。個人的には、「ヒマラヤほどの消しごむひとつ 楽しい事をたくさんしたい ミサイルほどのペンを片手に おもしろい事をたくさんしたい」というくだりが、池さんのワインが大好きという気持ちにオーバーラップするなと思った。
ただ大好きなんだ。
ただ皆に喜んでもらいたいんだ。
そんな嘘のない気持ちがグイグイくる。
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