2021.12.08 更新

北海道・函館 農楽蔵

北海道・函館 農楽蔵

農楽蔵

佐々木 賢 氏

函館のワイン造りの将来は、市街地の夜景のように明るく、エネルギー溢れるものであるに違いない。


日本ワインコラム 北海道・函館 農楽蔵

北海道北斗市文月地区 。 「峩朗(がろう)鉱山」を背に函館市街を見下ろす斜面の上に、農楽蔵の自社農園は広がっている。

路面電車が横断する、趣のある港町だ。 ▲ 路面電車が横断する、趣のある港町だ。

最近は治ったのですが、謂わば「斜面を見ると葡萄を植えたくなっちゃう病」に罹っていました。 葡萄を栽培する場所を長い間探していたので、癖になってしまって。

何万人にひとりが罹る奇病なのかは知らないが、筆者が知る限りにおいては、はじめての症例だ。前代未聞の病魔に侵されながらも心を燃やし続けたその情熱は計り知れない。 ブルゴーニュでワインの醸造栽培学を修めた後、山梨県でワイン造りに携わっていた佐々木賢さんは、日本各地を回りながら、自分が求める条件を満たす土地を探していた。

農楽蔵 佐々木賢氏 ▲ 農楽蔵 佐々木賢氏

僕の場合、もともとはシャルドネが自分の好みのスペックになりそうなところを探していて、7-8年のあいだ日本中を訪ねて回りました。 当時は、フランス留学を終えた後で、山梨のワイナリーで働いていたのですが、そこからまたフランスに戻ったりして。そのあとに、北海道のニセコにきて、月に一回ほどのペースで実際に函館を訪れていました。

言うまでもない。北海道は大きい。
同じ北海道のうちにあっても、各都市は途方もない空間を隔てている。札幌と旭川なんて、六本木と新宿くらいの距離感でしょ。なんて都内在住者のくるった縮尺は一切通用しない。実際に農楽蔵が位置する函館と、北海道のワイン産地として注目を集めている余市や岩見沢の間には、200㎞以上の距離がある。東京からであれば静岡まで到達してしまう距離だ。県をまたぐどころの話ではなく、違う地方といえる隔絶がある。 同じ自治体区分であることが不自然なくらいだ。
だから、まずそのギャップを考慮に入れなければならない。東京に富士山はないし、静岡に愛宕の出世坂はない。つまるところ、余市などとは対照的に、函館近郊には葡萄栽培の歴史はない。

自社畑の文月ヴィンヤードの裏手には、ジュラ紀石灰岩「峩朗(がろう)鉱山」 ▲ 自社畑の文月ヴィンヤードの裏手には、ジュラ紀石灰岩「峩朗(がろう)鉱山」

明治二年にプロシア(ドイツ)人が葡萄を植樹したという記録は残っているのですが、それも凍害かフィロキセラかで途絶えているので、函館には葡萄栽培の歴史はないに等しいです。 気候の特徴のひとつとして、余市や岩見沢にはない「やませ」という太平洋側からくる季節風があるのですが、そのような厳しい風が吹き込んでくると葡萄の収量が落ちてしまいます。

「そういった不安定要素、リスクを抱えた土地だったので、葡萄の栽培はあまり栄えて来ませんでした。 ですが、近年暖かくなってきたことによって、その影響がやや緩和されてきました。 気象庁のデータ等をもとにそのような裏付けとった上で、自社圃場を植樹したのです。」

フランスや日本で得た情報、そして現場を訪れて行った徹底したリサーチの結果。佐々木さんが長い時間をかけたのは、それらと自身が求める条件とを擦り合わせだ。より詳細な情報を求め、入念な準備を進めていく中で、葡萄産地、ワイン造りの現場としての函館の優位性は、佐々木さんの中で確固たるものとなっていった。既に葡萄栽培地として名高い余市などと比較した時の、気候に関する微妙な差異なども函館のアドバンテージを証明する特徴となり得た。

函館市街地・元町にワイナリーは位置している。 ▲ 函館市街地・元町にワイナリーは位置している。

「年間の平均気温と、開花から収穫までの気温は、余市と比べて函館のほうが高いんです。 また、函館近郊では、9月10月に冬型の気圧配置になると北と西の間から風が吹いてきます。それは内陸の山を超えた風ですから、冷たく乾いた風です。 よって葡萄が成熟していく段階で、降水量が少なく、気温に日格差が大きくでてくるのです。これは、ドメーヌ・ド・モンティーユのエティエンヌ氏にも伝えたことですが、病害に弱いピノノワールなどの品種の、果実の間が密着したクローンを使うのであれば、病害のリスクが少ないので余市より函館の方がやりやすいのです。」

農楽蔵のラベルデザインを手掛ける佐々木佳津子さんの次姉夫妻は、絵本作家としてご活躍されている。 ▲ 農楽蔵のラベルデザインを手掛ける佐々木佳津子さんの次姉夫妻は、絵本作家としてご活躍されている。

「植える前の選択の段階で、9割が決まる」
そう語るように、佐々木さんは変更不可能な初期条件の設定に強いこだわりを持って準備を進める。
そのこだわりは、日本人では数少ないDNOを取得している奥様の佳津子さんを含め、ご夫妻がもつ学術的な知識、そして日本におけるワイン造りの経験に基づいたシビアで具体的なものだ。畑の選定から、樹間、畝間などの密植率を決定する葡萄の植え方に関する選択、台木と穂木のクローン選択まで、農楽蔵が求める「葡萄に酸が残って熟させることが出来ること」を最大限実現できる初期条件を求めていった。

1階部分の醸造設備はコンパクトな屋内に整然と設置されている。 ▲ 1階部分の醸造設備はコンパクトな屋内に整然と設置されている。

葡萄を植える土地を選ぶ際、南向きの傾斜というのは大前提だと思うのですが、そのうえで最も重要視したのは、地質や土壌ではなく積算温度です。 現在の函館は1980年代くらいのブルゴーニュと同じような積算温度になっていて、それが僕のイメージしている酒質を実現するのに最適だと考えました。

場所選びから畑造りまでに貫かれるストイックで細やかな姿勢は、葡萄栽培、ワイン造りにおいても一貫している。
『知識、経験をフル活用して、いかにありのままのワインを造るか』
それが、農楽蔵が掲げるひとつのスローガンだ。その土地の「ありのまま」を表現したいという思いから、ブドウ栽培においては有機栽培で認定するところとなるボルドー液のみを使用し、化学合成農薬、化学肥料、除草剤は一切使用していない。それは、非常にリスクの高いことであるが、佐々木さんは人間の手でできる小さなことをアレンジすることで、リスクを回避するノウハウを蓄積してきた。

「例えばウスミドリカスミカメという害虫は、葡萄の成長芯をつっつくんです。 殺虫剤を撒けば、容易に解決できる問題ですが、クスリを用いない人にとっては天敵と言える存在でしょう。ですが、本来彼らは特別葡萄を好むわけではないんです。他に雑草があればそちらに食いついていきます。」

なので、草刈りをする時期を調整することによって、この害虫による被害を最小限にすることができます。うちでは、あまり雑草を切りませんが、そうすることでそこに生息する虫の種類も増えていくのです。それによって、葡萄への害を低く抑えるような生態系が出来上がる。

殺虫剤などを使用しなくても、人間が手を加えられるレベルでの工夫で環境を整えることにより間接的に防除をすることができる。佐々木さんはそういった現場のノウハウを、緻密に作り上げている。土地に由来しない要素の関与が排除された「ありのまま」というものの実現のために、人間が出来る小さなアクションのピースから葡萄栽培を設計しているのだ。地域に根付いたノウハウや栽培の歴史を有しない函館の土地で、そのような技術を積み上げていくのは容易なことではない。

印刷所を改装した醸造所は、吹き抜けのような構造となっている。 ▲ 印刷所を改装した醸造所は、吹き抜けのような構造となっている。

余市や岩見沢の方との情報共有の機会はありますが、彼らがやっていることを全く同じように真似ても、いい結果が得られるわけではありません。やはり200kmも離れた土地ですから、自分自身で築いていかないといけないことが多いです。

「また、摘芯を出来るだけ遅くすることもポイントです。摘芯を早くやってしまうと、どうしても副梢が出てきてしまい、ベト病のリスクが増してきます。うちはボルドー液の使用量がとても少ないため、手作業で散布を行なっています。そのため、機械散布よりもムラが出てきてしまうのです。その問題が常にあるので、摘芯を遅くしてベト病のリスクを予め軽減しておく必要があるのです。」

醸造に関しても同様に、精緻に組み合わされた工程が必須となってくる。農楽蔵のワイナリーは函館市街地に位置する印刷所を改装した建物の一階部分。とても大規模とは言えない、こじんまりとした設備だ。人ひとりがようやく通れるほどの幅の通路を超えた先には、小さな容量の醸造用タンクや木樽が所狭し、と並ぶ。この空間と佐々木夫妻の二人が、パズルのように動き、組み合わさりながら、デリケートな醸造工程を完成させていく。

「出来るだけ亜硫酸を加えない醸造をやっており、2015年からは全く入れていません。 亜硫酸無添加の醸造って、ミスをすると戻れないんですよね。なので、発酵中より瓶詰めの時のほうが緊張します。 例えばうちの場合、揮発酸は感知できるか出来ないかくらいの量が許容できるマックスなんです。豆臭などもそうですが、知識と経験の引き出しを全て使って、それらをコントロールしています。そういう作業は物凄く繊細です。それを夫婦二人でこなしていかなくてはいけません。且つ、ワイナリーの規模もかなり限られているので、動線からタンクの容量などまで、しっかりと効率的な設計をしないとうまくいかないんです。」

農楽蔵が描く醸造の設計図は、ワイナリーでの工程のみに止まらない。瓶詰めまでで線が途絶えることはなく、出荷後の状態、温度管理や保管のコンディションまでが描かれ、それを含めた形での逆算されたデザインを採用している。

地元限定「葡萄戦隊のまさーる・シリーズ」の「はがいくぶらん」。透き通るような味わいが ▲ 地元限定「葡萄戦隊のまさーる・シリーズ」の「はがいくぶらん」。透き通るような味わいが

一般的に「醸造学」って瓶詰までを指す言葉じゃないですか。
つまり、流通までを醸造学に入れるということはないんですけど、僕はそこまで考慮した考え方であるべきだと思っています。日本は物流が発達していて冷蔵便もありますし、温度管理にすごく気を使っている酒販店さんも多くあります。ですから、ある程度しっかり保存してくれるなら、醸造のプロセスで削ることができることもあると思うんですよね。想定できる出荷後のコンディションから逆算して、瓶詰の仕方も変えるべきだと考えています。

大規模な最新設備を用い徹底されたコントロールの下で製造されるワインを飲んだ時、「造りこまれたワイン」だと感じることがある。ハイテクノロジーな製造プロセスは、ワイン自体の緻密にデザインされた隙のない味わいにしっかりと現れる。 一方で、農楽蔵が目指す「ありのまま」の味わいは、それとは大きく異なるものだ。土地が持つ味わいをストレートに表現するとき、限られたリソースを使って、「デザインしないワイン造り」をデザインしていく。
「手を加えない」ことは、何もしないことを意味するわけではなく、間接的な関与での危機管理・品質管理を精密に設計していくことを意味する。その工程に組み込まれた細やかなパーツの数々へ想いを馳せると、むしろ彼らが目指す「ありのまま」の味わいの方こそが「造り込まれたワイン」であるかのような、価値が転倒したような感覚に陥る。

水みたいなワインを目指しているので。

我々が昼食の際に飲んだ「はがいく ぶらん 2019」の感想を伝えた時に、佐々木さんがサラッと口にした言葉だ。それが土地の地層を反映するような味わいであることは、農楽蔵の哲学が語る通りだろう。
一方で、佐々木さんに出逢った上で、その言葉を解釈すると、「高度に設計された手法でbr造られたワインであれば、それを飲んでも、水を飲んだときと同じように、人的な介入を一切感じ取ることが出来ないはずだ。」のような意味にも聞こえてきてしまうのだ。これは筆者の推測でしかないが。

ノラ・シリーズ、ノラポン・シリーズ、葡萄戦隊のまさーる・シリーズ 、Nora-Ken(のらけん)シリーズと、年に応じて変わる多彩なラインナップも大きな魅力の一つだ。 ▲ ノラ・シリーズ、ノラポン・シリーズ、葡萄戦隊のまさーる・シリーズ 、Nora-Ken(のらけん)シリーズと、年に応じて変わる多彩なラインナップも大きな魅力の一つだ。

函館平野で、葡萄を栽培してワインにしているのってうちしかないんですね。 新規で始められている方もいるので、おそらくこの5年10年でワイナリーは5-6件まで増えると思います。そこまで増えていくと、函館の産地としての特性が見えてくるでしょう。今、うちのワインも特殊な独特なシャルドネのパターンなのかなと思っています。 それを言語化して、特性をしっかり理解できるように、そしてそれを伝えられるようになりたいです。

徹底的にデザインされた工程は「造られた味わい」を、自然に任せて静観する工程は、「自然な味わい」を生む。 そういった認識は筆者の中にもぼんやりと漂うが、それは誤解とも言えるものなのだろう。佐々木さんとの出逢いを通じて、強く感じられたのは、「知識・経験をもとにデザインされた工程こそが、土地や風土の「ありのまま」を表現する。」という強固な主張だ。
もしかすると、そういった設計者としてのパーソナリティが、函館という前例を持たない土地でのチャレンジを可能たらしめたのかもしれない。そして、そんなパイオニアを有する函館のワイン造りの将来は、市街地の夜景のように明るく、エネルギー溢れるものであるに違いない。 農楽蔵では、向こう3年に渡ってワイナリーを移設し醸造設備を拡大する予定だそうだ。

「今までは、ストックができない関係で攻めた醸造ができてこなかった。」
と語る佐々木さん。貯蔵・熟成期間というツールを手に入れた彼が思い描く「攻め」とはどんなカタチのものなのだろうか。今後、農楽蔵が見せる「ありのままの味わい」がどのように進化していくのか。
「最終的に水になってしまったらどうしよう」などというくだらない不安を片隅に、好奇の目がその光をいつまでも湛えているのである。

Interviewer : 人見  /  Writer : 山崎  /  訪問日 : 2021年12月08日

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