日本ワインコラム | 北海道・空知 KONDOヴィンヤード
KONDOヴィンヤードは、北海道岩見沢市を拠点とするワイナリーだ。
山﨑ワイナリーやタキザワワイナリーなどが構える三笠市の達布に、2007年より開墾した「タプコプ」、岩見沢市に「モセウシ」の二つの自社農園を所有する。10Rワイナリーで5年間の委託醸造によるワインの生産を経て、2017年にはモセウシに隣接する形で、「中澤ヴィンヤード」と共同で用いるワイナリー「栗澤ワインズ」を設立した。
我々が訪問したのは、そのワイナリーがある茂世丑(モセウシ)。
周囲にはとりあえず何もない。なんというか記号学的に、我々は言葉を持たない対象を識別できないわけだけれど、北海道へ行くとそれをリアルに体感させられる。多分何かあるのだろうが、私の自然な語彙の中にそれらを叙述する言葉ないがために、なにもないのと同じなのだ。遠くに濃い緑と近くに薄い緑?なんていうとバカみたいだけれど、そういう感覚だ。
畑に出ることが、僕らの仕事なんだ。ということが非常に大事なんです。自分は農家だという意識が大事で、土砂降りでもない限り必ず畑に出る。他人より長く畑で作業しているという自覚はあります。
大事なことは農家であること。 農家であることは、畑に出て行くこと。
より長い時間を畑での作業に費やすこと。確かに重要なエッセンスであるのだろうが、私は凡庸な人間だから、例えばイチローが「最高のコンディションで試合に臨むための準備は常にできています。」というときの、肩透かしにあったような感覚と同じものを覚える。
しかし、KONDOヴィンヤード
近藤良介さんが発する「農家である」ことが意味するものは、彼が畑や醸造所で繰り広げる、特異なチャレンジの数々のなかにしっかりと焼き付けられている。
近藤さんのヴィンヤードの特徴として、ひとつ看板のようなかたちをもって挙げられるのが「混植」という栽培方法だ。北海道では複数品種を混ぜて醸造する混醸が、ひとつの波になっているように思われる。モンガク谷ワイナリー、ル・レーヴ ワイナリーなどもそのうちに数えられる。彼らは、異なる葡萄を区画に分けて栽培し、最終的な醸造段階で混ぜ合わせるようなプロセスをとるが、KONDOヴィンヤードではその点が異なる。
「いえ、それじゃあ本当の混植じゃないんですよ。」
「一緒にしないでくれますか。」という語気として誤解されても仕方ない形で、鼻を鳴らす寸前まで至る近藤さん。 おそらくそんな排他的な意図はないので、誤解しないでください。
しかし、「本当の混植」を実践するKONDOヴィンヤードでは、植樹前の苗木の段階で、複数の品種がぐじゃぐじゃに混ぜられ、それをそのまま、どこに何を植えているのかわからない状態で植樹する。極めてリアルに混然としているのだ。そこには、独立以前の8年間を葡萄栽培家として過ごしてきた経験が教える、リスクヘッジの発想が前提として含まれている。
歌志内で葡萄の栽培をしていたときに、意図的ではなくて間違って混植になっている区画があったんです。セイベルとツヴァイゲルトだったのですが、セイベルは病気に強いから、あまり防除の必要がないんです。だから、ほとんど農薬をまいていませんでした。そうしたら、ツヴァイゲルト単一が植えられている区画は、セイベルに比べて多くの農薬が必要だったにもかかわらず、その混植区画のツヴァイゲルトには同様の防除がなくても病気が出なかったのです。そこで、多品種を混植することで、病気耐性においてもある品種が他の品種の影響を受けていくということがわかりました。
これは、混植において近藤さんの経験値が語る側面と言えるだろう。 単一品種であっても、特徴を異にする複数のクローンを混ぜて植樹することで、病気耐性の効果を主張する生産者も多い。それは病気による「全滅」を防ぐという最低限から、上記のような異種間の相互作用まで、さまざまなグラデーションが存在する。品種が違えばなおさらだ。 その一方で、より近藤さんらしい、なんていうと変な話だが、彼のいう「農家」の像を具体的な事柄から表現するようなことも語られる。
例えば単一品種の区画であれば、その区画全体を見て回らなくても、いくつかの葡萄の状態を見れば、その区画の状況を凡そ理解することができるんです。一方で、混植の区画は一通り全てを見て、各それぞれの樹を観察する必要が出てきます。そうでないと、全体を理解することが出来ません。この木は伸びが良くて、隣はまだ発育に時間がかかるなど、それぞれの状態を見るのは大変で面倒くさいことなのですが、そういうことが大事なんです。
その通りだ、面倒であるに決まっている。だがそれゆえに「農家」である、というのがおそらく彼の考えなのだ。 彼にとって必要であるのは、数千の葡萄の樹を事前情報のない「君は誰だっけ?」という段階から、観察し続けること。 そういった敢えて混植を実行するということは、そんな気の長い在り方を選ぶことは、もしかすると長い時間を畑に費やしたいという願いを方法から実現しているのかもしれない。決着がつかないからいつまでもサッカーをしている子どもたちが、実はいつまでも遊んでいられるように決着をつけていないのと同じように。 良い葡萄を造る目的がある、という点で、それは違うといわれるかもしれないが、伏流するものとしてそんな意思を感じずにはいられない。
混植はヴィンヤード設立時から続くひとつの大前提のようなものだが、もうひとつ近藤さんが2019年から新たに取り組んでいるのが「馬耕」だ。
「モセウシ」の畑に馬を入れ、鋤などを引かせて耕作をする。
ピンと来ない方々は、水田をのそのそ歩く牛を想像して頂ければいい。牛耕は世界史か何かで習う古代中国の農耕技術だ。牛だとあまりロマンティックじゃないので、葡萄畑には馬を入れることが習わしとなっている。
「2006年にロワールへ行ったときに、オリヴィエ・クザン(ロワールのビオディナミを実践するワイナリー)で一度馬耕を体験させてもらったんですよ。その時から、これ絶対いつかやりたい、と思い始めました。ワイナリーが馬を飼うなんて滅茶苦茶ハードルが高いことですから、ただ言っているだけだったんですけど。でも、出逢っちゃうんですよね。」
自社農園を持つ前の、夢見がちな記憶ともいえるかもしれない。
しかし、この畑で何かをしたいという「農家」近藤さんの思いは見事に結実する仕様になっている。2019年、馬搬での林業を営む「めちゃくちゃ変わり者」の西埜さんと知り合い、現代の凡庸な、あるいは常識的な価値観からすれば、「なんでそんなことをやっているのかわからない人同士」ということだろうか、2人は意気投合した。林業は冬の仕事であるため、他の季節はある種オフシーズン。ちょうど西埜さんは、その期間に馬が働ける場所を探していた。
「タプコプ」は、耕作放棄地で山林だった所を開拓した畑です。山土で地力もあるので、不耕起、無施肥での栽培をしています。一方で、「モセウシ」は農薬、化学肥料がバシバシ使われていた土地で、堆肥をして耕起してやらないと良くならない。
そんな「モセウシ」と近藤さんにとって、これは奇跡的な巡り合わせだった。その迅速さには理解しがたいものがあるが、早速、意を決した西埜さんはフランスから3種の馬耕用器具を取り寄せた。
それまではトラクターで、より楽にスピーディに耕起していた「モセウシ」は、現在年5回、各回1日半という長い時間をかけて、お馬さんによって耕されている。ここにも畑で長い時間を過ごしたいという無邪気な「農家」の意思を感じ取ってしまうのは私だけだろうか。勿論、馬で耕すことによって、より土壌が柔らかくなるというような効果は存在し、実際に近藤さんもその変化を実感している。
だが、馬耕の様子を収めたビデオを見せてくれた近藤さんの目は、それとは別に、新しい玩具を自慢するような輝きを湛えている。
「混植」「馬耕」をはじめ、長い長い畑作業の連綿の果てに葡萄たちがたどり着くのが、2017年に設立された自社醸造施設。そこで、設立時より近藤さんが挑戦しているのが、クヴェヴリでの醸造だ。「konkon」と名づけられる混醸のワインは、日本ではあまり例のない土製の甕の中で醸造がなされる。ジョージアなどワインの起源となるような土地での伝統的な醸造に用いられる方法だ。そんな結滞な方法を採用するのには、10Rワイナリーで委託醸造をしていた時代に巡り合ったある生産者の影響がある。
「パオロ・ヴォトピーヴェッツに会ったことが契機でした。ワイナリーまで突き進めたのは、彼の影響もあって、自分の考え方がまとまったからだと思います。 彼が私の2013年ヴィンテージのステンレスタンクで醸造していたタプコプブランを試飲したときに、「これはすごくいいワインだけど、人工由来の醗酵槽は、自然由来のものに比べて野生酵母の活動を妨げるから、アンフォラか樽でやったほうがいい。」と助言をくれました。
僕もモヤモヤとそういうことは感じてはいたんですが、当時北海道でそういったことをやっている人はいませんでしたから、そこへ踏み込む勇気はなかった。でも、彼がそういう話をしてくれたおかげで、翌年から樽での醸造を始めました。しかし、樽だとそのニュアンスがどうしてもついてしまう。その中で、(クヴェヴリを使った)パオロのワインが衝撃的だったということもありますが、クヴェヴリに興味をもつようになりました。
そうやって「クヴェヴリ、クヴェヴリ」と、ことあるごとに言っていたら、ジョージアに行く機会にも恵まれたりとかして。」
パオロ・ヴォトピーヴェッツはイタリア フリウリ・ヴェネツィア・ジューリアの生産者。 天才と称されるパオロは、その畑から醸造まで、恐ろしいほどの炯眼でもって見極められた独特の方法で、ワイン造りを行っている。ここでヴォトピーヴェッツの類まれなる英雄譚を始めるわけにはいかないので、気になる向きは輸入元HPを参照してください。
ともあれ、彼は大樽やアンフォラで醸造したオレンジワインを生産している。クヴェヴリを用いた醸造においては、葡萄を丁寧に除梗、破砕し、甕の中にそのまま投入する。あとは、たまの櫂入れをのぞき、そのまま蓋をして待つのみだ。外気からの余計な酸化を防ぐためにきっちりと密閉するため、中で何が起こっているかを知ることはできない。
ただ待ち続ける。なんとも気長で同時に神経をすり減らす、胆力の必要なプロセスだ。また、この地域で確立したメソッドではないため、環境に合わせた多くの調整が求められる。近藤さんが訪れたジョージア東部カヘティ地方では全房を、梗が充分に熟さない北海道では除梗を施す必要が出てくるなど、様々な条件が変わってくるのだ。
前例がない方法での2017年からのスタート。まだ、十分な経験値が備わっているとは言えないという近藤さんは、毎年試行錯誤を繰り返している。
クヴェヴリ、konkonってのが自分の中でのフラッグシップで、自分のやりたいことはそこなんですよね。 この地域でも本当に例がないんです。ジョージアに行くには行ったけど2週間だし、パオロには逢いましたが、現地は見ていません。ジョージアは北海道とは気候も違う品種も違う、衛生管理ひとつとっても違うんです。自分の葡萄の1/4近くはクヴェヴリにしていて、普通に絞ったら絶対美味しくなるのに、あえてわけわかんないことをしていて、耐えがたきを耐え、みたいな。 でもなんかこう試行錯誤をすることが好きなんです。クヴェヴリだけは一生トライし続けるワインだと思います。
近藤さんから発せられる「農家であること」というフレーズは、「童心を忘れない」とも言い換えられそうな気がしている。 畑で長時間作業するということは、夜明けとともに遊びに出て行って、日が暮れるまで帰って来ないような、そういった。 それと同時に感じられるのが、「タフな胆力」。
面倒なことに、必ずしもやる必要のないことに長い時間をかけて取り組み、耐え忍ぶ姿勢だ。一見、相反する2つのようにも思われるが、それを「農家であること」の中に共存させている近藤さんだからこそ、「この畑でこんなに面白いことが他にも出来る」という可能性に目を輝かせ、「馬」や「クヴェヴリ」といった日本で他に例のないものたちを引き寄せてしまうのだろう。ところで、次は鷹あたりの猛禽類か狼あたりの猛獣を引き寄せて、兎や鹿と戦うのはいかがでしょうか。 ブルースさんも喜ぶと思います。
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