2021.12.08 更新

北海道・函館 ド・モンティーユ

北海道・函館 ド・モンティーユ

ド・モンティーユ&北海道

矢野 映 氏

函館のワイン産地としての地位を、確率していく革新。


日本ワインコラム | 北海道 函館 ド・モンティーユ&北海道

小規模ワイナリーが次々に生まれ、独創的かつ高品質なワインが多数リリースされていくことで、躍進を続けている日本ワイン。 北海道という土地は、そのような隆盛の舞台の中でも最も多くのスポットライトが集まる産地だろう。ドメーヌ・タカヒコをはじめとする余市や、多くのスタート・アップ生産者を輩出する10Rワイナリーが位置する岩見沢など、源泉が点在している。 一方で、2018年、そのような発展の形とはやや性質を異にする出来事が起こった。 ブルゴーニュの名門ドメーヌ「ド・モンティーユ」の函館への進出である。 歴史と基盤をもつブルゴーニュの生産者。そのような老舗ワイナリーが、新天地として、まだ黎明期にある日本の北海道を、かつワイン産地として殆ど歴史を持たない函館を選択したことは、多くの驚きを呼んだ。

ドメーヌ・ド・モンティーユ

函館湾、函館山を臨む絶景の斜面上にピノ・ノワール、シャルドネが植樹される。 ▲ 函館湾、函館山を臨む絶景の斜面上にピノ・ノワール、シャルドネが植樹される。

ド・モンティーユは、フランス革命以前の1730年に設立され、現在も家族経営が続けられている歴史あるドメーヌだ。
その名前が示すように封建領主の家系にルーツを持つため、かつてはミュジニーやボンヌマール、レ ザムルーズなど煌びやかなクリマの数々を20haも所有していた。ヴォルネイ拠点のドメーヌというイメージが根強いが、それは、経済的な理由でそれらの畑を手放さなければならなかったためである。ド・モンティーユは、ドメーヌが位置するヴォルネイの畑を2.5ha残したのみで、他の区画はすべて失った。 現当主であるエティエンヌ・ド・モンティーユ氏が、ワイナリーに参画したのは1990年。弁護士とワイン生産者の二足草鞋で働き続けていた父・ユベール氏を見て育った彼は、パリ高等政治学院で法学を収め、弁護士資格を取得、M&Aのコンサルタントなどのキャリアを経て、83年にワイナリーへ戻ってきた。

そこから7年という長い歳月をかけて、醸造・栽培に関する学業とドメーヌでの研修を経て、醸造責任者の任についたのだ。1995年、ドメーヌの共同経営者となってからのエティエンヌの躍進は目まぐるしい。ビオディナミ農法での栽培を全自社畑に適応、ユーロリーフ認証を取得し、その一方では、自社畑の大幅な拡大に着手。
クロ・ド・ヴージョやヴォーヌ・ロマネ マルコンソールをはじめとした著名なクリマを取得、そして、業務委託という形で、栽培・醸造を担っていた「シャトー・ド・ピュリニー・モンラッシェ」を買収した。それによって、シュヴァリエ・モンラッシェをはじめ、シャルドネの一流クリマを一網打尽に手に入れた。

当初2.5haだった自社畑は、36haにまで広がりを見せた。ヴォルネイの小規模ドメーヌという既存のイメージを一新しようというような動きは、ド・モンティーユのラインナップを鑑みるに見事に作用していると言えるだろう。そのように、まるでかつての栄華を取り戻そうとするかの勢いで、グランクリュ街道を突き進む、エティエンヌ・ド・モンティーユ。そんな彼が、チャレンジのネクスト・ステージとして選んだのが、「北海道」だったことは、やはり意外というほかないように思われる。

ブルゴーニュから世界への進出

標高は200mほどの緩やかな斜面。背後の亀田山地から吹き下ろす冷たい風によって、冷涼な環境が保たれる。 ▲ 標高は200mほどの緩やかな斜面。背後の亀田山地から吹き下ろす冷たい風によって、冷涼な環境が保たれる。

ブルゴーニュのドメーヌの海外進出というムーヴメントは、1987年にジョセフ・ドルーアンが、オレゴン州でワイナリーを設立したことから端を発する。その後、オレゴンでいえば、ドミニク・ラフォン(ドメーヌ・コント・ラフォン)、エティエンヌ・カミュゼ(ドメーヌ・メオ・カミュゼ)、ルイ・ジャド、ルイ・ミシェル・リジェ・ベレール(ドメーヌ・コント・リジェ・べレール)などが後進として続く。また、南半球に関して言えば、ジャン・マリー・フーリエ(ドメーヌ・フーリエ)がギップスランドのバス・フィリップに、フランソワ・ミエ(コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエ)がセントラル・オタゴのプロフェッツ・ロックに参入するなど、ブルゴーニュ品種の新天地へ事業を展開している。
そういった産地の共通点として、既にブルゴーニュ品種を用いてのワイン造りが主要産業として息づいていたということがあげられる。 勿論ブルゴーニュと比較すれば新興の産地であるが、オレゴン、ヴィクトリア、セントラル・オタゴは、1980年代からワイン産地として勃興を見せている。ドルーアンの進出は先見的と言っても誇張ではないものだが、他の多くのブルゴーニュの生産者にとっては、安定した未来が見える投資先と言える存在であった。

対照的に、「日本」「北海道」「函館」というエティエンヌ氏の土地選びは、そのような前例と大きくかけ離れている。先述のニューワールドのワイン産地と比較しても、産業としての規模が大きく異なるのだ。例えば、年間900万リットル以上の生産量を誇るオレゴンに対し、北海道全体で輩出するワインは250万リットル。ブルゴーニュ品種に関しては、90年代以降の流行が見られるが、小規模生産者が増加傾向にあるというステージにとどまり、例えばピノ・ノワールの生産量は北海道全体の3%にも満たない。
それに加えて、北海道の中でもワインの新興産地として知られている、余市・岩見沢等とは対照的に、函館にはブドウ栽培からワイン生産までを手掛けるドメーヌ型の産業の歴史が全くと言っていいほどに存在していない。

気候変動などの環境変化の中で自身の新しいチャレンジを模索する中、函館を新しいチャレンジの地として選んだ。

産業の礎が築かれていない土地への進出。 そのようなエティエンヌ氏のチャレンジ精神は、他の海外進出を果たしたワイナリーのそれとは、やはり異質なものと言っていいのかもしれない。 一方で、その選択を最も強く支えるのが、函館のテロワールの可能性だ。

再解釈される函館のテロワール

2023年のリリースを待つ、若木のピノノワールとシャルドネ。 ▲ 2023年のリリースを待つ、若木のピノノワールとシャルドネ。

函館でのワイン造りの第一人者ともいえる、農楽蔵の佐々木賢氏は、この土地でブドウを造ることのメリットを、エティエンヌ氏へ伝えた人物の一人だ。彼が収集し、蓄積したデータや経験は、エティエンヌ氏の選択に大きく影響を与えたと言っていいだろう。亜寒帯に属する函館であるが、温暖化の影響でその積算温度はブルゴーニュ品種に適した水準へと変化をとげた。

ここ10年の積算温度の平均は約1400℃。これは、1980年代のブルゴーニュに類似するような数値であり、また、ブドウの植樹をする標高によっては、ピノ・ノワールやシャルドネに適した1388℃以下という値にさらに近づいていく可能性がある。 また太平洋に面するという土地柄、春から夏にかけて親潮の上を通過して吹き付ける「やませ」による冷害の問題が付きまとうが、それについても温暖化の影響で緩和の傾向がみられている。
ブドウの生育に適したコンディションを見極めることによって、歴史を持たない土地は、一躍「日本でブルゴーニュに一番近い土地」に変貌を遂げようとしている。

現在、「ド・モンティーユ&北海道」は函館市街を見下ろす、標高200m程の緩やかな斜面上に36haという広大な土地を所有している。奇しくも、ド・モンティーユがブルゴーニュに所有する葡萄畑の面積と殆ど同じ値の敷地は、大規模な暗渠設置工事や表土の整地を経て、十全な準備の下にブドウ畑として生まれ変わっている。現在は、そのうち7.5ha程のピノ・ノワールとシャルドネが植樹されている。広く切り拓かれた斜面は、ブルゴーニュにいるかのような錯覚をもたらすほどに整然とどこまでも続いており、それの果てには函館湾や函館山が地平線を埋める。

この畑のブドウがワインに生まれ変わるのは、2023年から。ブルゴーニュのメソッドを忠実に踏襲したワイナリーの竣工とともに、ドメーヌワインの生産が予定されている。

ブルゴーニュの技術と函館のテロワールの融合

暗渠の設置や表土への石灰岩の散布などの土壌改良によって、ピノ・ノワール、シャルドネの栽培が実現した。 ▲暗渠の設置や表土への石灰岩の散布などの土壌改良によって、ピノ・ノワール、シャルドネの栽培が実現した。

現在は、余市をはじめとするブドウ産地の優良な契約農家から供給される葡萄から、ピノ・ノワール、ツヴァイゲルト、ケルナーの3種のワインをリリースしている「ド・モンティーユ&北海道」。
2018-2022年ヴィンテージまでの5年間について、醸造は道内岩見沢でブルース・ガットラヴ氏が運営をしているカスタム・クラッシュワイナリー「10Rワイナリー」にて行われている。「日本という環境で北海道のブドウを醸造する方法を学び、理解する期間」という位置付けだ。 コロナ禍によって、エティエンヌ氏が来日してのワインメイキングは困難な状況であるが、バレルサンプルのテイスティングやリモートでの頻繁なコミュニケーション、そして日本でのワイン造りに精通したブルース氏のサポートによって、彼が目指すブルゴーニュの技術・ノウハウと日本のテロワールの融合は、着実に前進の模様を見せている。

既に、2ヴィンテージのリリースを果たした「ド・モンティーユ&北海道」。
買いブドウの委託醸造という、エティエンヌ氏にとってもチャレンジングな条件でありながら、そのビハインドを感じさせない完成度は、「ド・モンティーユ」の実力を強く感じさせるものだった。北海道の冷涼な気候を美しく反映した仕上がりとなっており、そのエレガントで焦点の合った味わいは、エティエンヌ氏のテロワール解釈の精度の高さを裏付けるようでもある。

エティエンヌ氏の父、ユベール氏は映画『Mondovino』において「テロワールの保守者」としてのヴィニュロンの姿勢を世界に示した人物としても知られる。そんな父の意匠を受け継ぐエティエンヌ氏も、ムルソー、ヴォルネイ周辺の詳細な土壌分析を推し進めた功績をもち、テロワールのリサーチャーとして大きな存在感を示す人物だ。
だからこそ、全面ビオディナミ農法を採用という栽培方法の革新を成し遂げることができたと言ってもいいだろう。 函館での葡萄栽培からワイン造り。それが未知の領域であることは間違いない。

そんな白紙の土地に、エティエンヌ氏の情熱とノウハウを有する「ド・モンティーユ&北海道」が大きな知的躍進と技術の発展を齎してくれることへの期待は大きい。

函館のワイン産地としての地位を、フランスの技術とノウハウを通じて確立していく革新。そのような劇的な瞬間の走馬灯を目にしていくことができるのは、非常に幸せなことだ。そして、数年後に控える自社畑の葡萄を使用したドメーヌワインの登場という、ひとつの大きな見せ場の到来が、今か今かと待ち遠しいのである。

Interviewer : 人見  /  Writer : 山崎  /  訪問日 : 2021年12月08日

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